少林拳(浅野浩二の小説)
2019年5月3日のことである。
私は、ザ横浜パレード、を、見に行った。
中国拳法を習っている、友達、松田君と。
ザ横浜パレード、とは、昭和27年から、開催されるようになった、大規模な国際仮装行列、である。
別名を、横浜開港記念みなと祭 国際仮装行列、という。
毎年5月3日の憲法記念日に、開催される
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10時45分から、山下公園前を出発し、シルクセンター前、横浜税関前、横浜赤レンガ倉庫前、新港埠頭万国橋交差点、馬車道商店街、吉田橋、イセザキモールを通り伊勢佐木町6丁目に至る3.4kmのコースである。
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その日は、パレードと、同時に、横浜赤レンガ倉庫前、で、イベント、も、開催される。
ザ横浜パレード、の、午前の部、と、午後の部の、間の、12時から1時の間に。
なので、私と、松田君、と、イベント、を、見にいった。
今回の、イベントは、少林拳の演武大会だった。
「おい。山野。これから、横浜赤レンガ倉庫前、で、中国拳法演武大会、が、行われるぞ。見に行こうぜ」
と、松田君が言った。
「うん。行こう」
私たちは、中国拳法演武大会、が、行われる、横浜赤レンガ倉庫前、に行った。
ステージがあって、ステージの前に、椅子がたくさん、並べられていて、多くの、人が、集まっていた。
ステージは、幕で、覆われていた。
私たちは、一番前の、椅子に、並んで座った。
開始時刻の、12時になると、幕が、サー、と開かれた。
司会者が出てきた。
「それでは、皆さま。これから、中国武術、少林拳、の模範演武、を、行います。どうぞ、少林拳の演武、を、とくと、ご覧ください」
そう言って、司会者が、引っ込むと、少林拳の演武、が、行われ出した。
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少林拳の達人の、修行、そして、それによって、鍛え上げられた、身体能力、のすごさ、は、多くの人が、知っていると思う。
拳法の技も、凄いが、肉体の鍛錬の激しさ、も、すごい。
坊主刈りで、僧の衣装を着た、少林拳の達人たちが、10人ほど、そろって、「はっ。はっ」、と、息を吐きながら、ダイナミックや、突きや、蹴り、の、少林拳の型を、全員、そろって、演武してた。
地面を這う拳法である、地躺拳では、手を使わない、連続ヘッドスプリング、をしている。
あれは、首の筋肉を鍛えている上に、タイミングを、ちょっとでも、間違えると、首の骨を折ってしまう。
さらに、彼らは、連続バク転、バク宙、前方宙返り、なども、出来て、その上手さは、オリンピックの、体操選手にも、引けをとらないほどだった。
「あいつら、体操に専念したら、オリンピックの床で、金メダル、とれるだろうな」
と、松田君が言った。
「そうだな」
と、私、も、相槌を打った。
「でも、何で、バク転、バク宙、前方宙返り、などを、するんだろう?あれは、武術とは、関係ないだろう?」
と、私が、聞いた。
「そりゃー、確かに、バク転、バク宙、前方宙返り、などは、武術とは、関係ないよ。しかし、彼らは、肉体の鍛錬のために、身体能力を、極限まで、鍛えるために、やっているんだ。体力を鍛え、体を外面から強くして剛力を用いる武術を外家拳と呼び、太極拳のように呼吸や内面を鍛えて柔軟な力を用いる武術を内家拳と呼ぶんだ」
と、松田君が言った。
「なるほどな」
私は、納得した。
「中国拳法は、その源流の最初は、武術だったんだ。その頃は、武器も無ければ、法律も無かった。自分の身は自分で守るしかなかった。しかし、時代が進んで、科学が発達して、銃、が出来ただろう。そして、人間は法律というものを、作って、世界の、ほとんどの国は、法治国家となって、人間が、素手で、戦う必要がなくなったんだ」
と、松田君は、言った。
「うん。そうだな」
と私はうなずいた。
「そこで、武術には、単に、戦うためだけではなく、呼吸法、や、技の修行が、肉体の鍛錬、にも、すごく役立つことに、気づいたんだ。太極拳の、ゆっくりした、動作などは、あれは、どう見たって、武術には、見えないだろう。突き、の動作も無ければ、蹴りの動作も無い。あれは、知らない人が、見たら、健康体操にしか見えないだろう。しかし、太極拳の達人にとってみれば、太極拳とは、呼吸、と、気、が、一体となった、発勁、という方法によって、爆発的な、非常に、強い力を出せる、武術の面もあるんだ。だから、太極拳の達人は、太極拳は、単なる健康体操とは思っていないんだ」
と、松田君が言った。
「その、発勁、というは、何なの?」
と、私は聞いた。
「その原理は、オレもわからない。ただ、中国拳法の達人は、日本の空手の威力を、中国拳法の威力より、低い、と、思っているよ。ブルース・リーだって、空手のパンチと、中国拳法のパンチの違いを、聞かれて、(空手のパンチは、鉄の棒のようなもので、敵の体の外部にダメージを与えるけれど、中国拳法のパンチは、鎖のついた鉄の球を、ブンブン、振り回して、敵に当てるようなものだから、敵の内臓を破壊する)、と、言っているよ」
と、松田君は言った。
「ふーん。なるほどな」
と、私は言った。
その時、司会者が、出てきた。そして、
「では、これから、肉体を極限まで鍛えた、外家拳の達人たちの、演武を行います」
と言った。
何人もの、中国拳法の達人たちが、出て来て、演武をしだした。
それは、もの凄いものだった。
空手の試割り、とは、比べものにならないほどだった。
レンガを頭で割ったり、指一本で、倒立したり、槍を自分の咽喉に当てて、グイグイ突いて、その槍を折ってしまったり、した。
「すごいな。槍を、咽喉に当てて、突いたりしたら、普通の人間だったら、槍が、咽喉に突き刺さって、死んでしまうだろうに」
「そうだな。肉体を極限まで、鍛えると、あんなことまで、出来るようになるんだな」
と、私たち、二人は、感心した。
一人の、少林拳の達人が、ステージの前に立った。
彼は、上着を脱いだ。
ボディービルダーほどの、ムキムキの筋肉ではなかったが、鍛え抜かれていることは、太い、腕や、肩、や、引き締まった背中の筋肉、脂肪が全くついていない、割れた腹筋などから、明らかだった。
・・・・・・・・
司会者が出て来た。
「それでは、最後に、外家拳である、羅漢拳の達人の、楊斯さん、の、不死身さを、演武してもらいます」
と、司会者は、言った。
楊斯、は、四股立ちして、拳を握りしめ、腕を、水平に、広げた、姿、を、とった。
いかにも、(さあ。打ってこい)、といった様子である。
何人もの、少林拳の、使い手たちが、太い角材を持って、彼の回りを、囲んだ。
そして、少林拳の、使い手たちは、それぞれ、持っていた角材で、思い切り、楊斯、の、腕、腹、背中、尻、脚、など全身を、叩いた。
しかし、楊斯、は、あたかも、銅像になったかのように、ビクとも動かなかった。
「すごいな。あの不死身さは」
「そうだな」
「痛くないのかな?」
「鍛えているから、痛くないんだろう」
「しかし、あれだけ、角材で、思い切り、叩かれても、何ともない、というのなら、敵が、殴ったり、蹴ったりしてきても、ダメージを、与えることが、出来ないということに、なるな」
「そうだな。そうすると、敵の攻撃に対する防御、というものも、必要なくなるな」
「肉体を鍛える、というのは、そういう目的も、あるんじゃないか?つまり、ダメージを受けない肉体にしておけば、敵の攻撃を受けても、ダメージを受けないから、絶対に、負けない、ということになるな」
私たち、二人は、中国拳法の、すごさ、に、ただただ、感心していた。
・・・・・・・
司会者が出て来た。
「それでは、楊斯さん、の、演武を、終わります。これをもちまして、今日の、少林拳の、演武大会を終了させて頂きます。みなさん。どうか、盛大な、拍手をお願い致します」
と、司会者は、言った。
パチパチパチ、と、会場には、盛大な、拍手が、起った。
おそらく、観客の全員が、拍手したでしょう。
楊斯、を、角材で、叩いていた、少林拳の使い手たちも、角材で、叩くのを、やめた。
観客たちは、てっきり、楊斯、が、ニコッ、と、笑って、お辞儀するものだと思っていた。
しかし、様子が変である。
楊斯、は、四股立ちして、拳を握りしめ、腕を、水平に、広げた、姿、を、とり続けている。
「楊斯さん。もう、演武大会は、終わりですよ」
司会者が、楊斯に、そう言っても、楊斯、は、微動だにせず、同じポーズをとり続けている。
会場が、ザワザワ、ざわめきだした。
医師が、急いで、ステージの上に、上がって、揚斯を、診察し始めた。
「脈が無い。死んでいる」
と、医師は言った。
私は、すぐに、「弁慶の立ち往生」、を、思い出した。
義経の忠実な家来であり、武術に優れた人として知られている武蔵坊弁慶。
その最期は、衣川の合戦で、数本の矢を全身に受けながら、立ったまま死んでいったと言われている。
これは後々まで、「弁慶の立ち往生」、として語り継がれていたが、本当に立ったまま死ぬというのは、可能なのだろうか?
私は、それを、調べてみたことがある。
すると、こう書かれてあった。
「人間が何人もの人間と戦って、筋肉内に疲労物質の量が増えている時、矢が刺さるという強い刺激が与えられると、全身の筋肉が瞬間的に痙攣し、強く固まる事はありえる。つまり、死んですぐに、立った状態のまま、死後硬直が起こることは、あり得る・・・と」
楊斯さん、が、いつ、死んだのかは、わからない。
少林拳は、肉体と精神を極限まで、鍛える。
命あっての、修行である。
楊斯さん、は、おそらく、少林拳の、凄まじい修行に、耐えて、肉体的にも、精神的にも、人知を超える境地に達していたのだろう。
どんな、痛み、を、受けても、「痛い」、と、言わない、精神力を身につけてしまったのだろう。
私は、少林拳の演武を見た、はじめの時は、その超人的な、身体能力に、ただただ、感心するばかり、だったが、少林拳の演武を見おわった時には、その価値観は正反対になっていた。
私は、それほどまでの、精神力を身につけた、楊斯さん、を尊敬すると、同時に、何事でも、「限界を極める」、よりも、「何事もほどほどに」、しておいた方がいいと思った。
・・・・・・・・
私が、そんなことを、思っていると、司会者が、焦って出てきた。
「みなさま。ちょっと、予想せぬ、アクシデントが、起こってしまって、申し訳ありませんでした。少林拳は、肉体を極度に、鍛錬します。その修行には、咽喉を槍で突いたり、体を棒で、思い切り、叩いたり、という、一般の人から見ると、信じられないような、一見すると、過激で、残酷なように見える、修行も含まれています。しかし、修行を始めた、初心者、には、もちろん、いきなり、そんなことは、致しません。し、出来ません。初心者に、いきなり、そんな事を、したら、当然、死んでしまいます。しかし、少林拳の鍛錬は、人体の理論を研究し尽くした上での、科学的根拠に裏づけされた、正しい理論の元に、行われているのです。少林拳の鍛錬は、一日、10時間、以上の、きびしい基礎訓練を、10年、以上、続けた後、はじめて、超人的に見える肉体、や、身体能力、が形成されていくのです。ですので、その成果を、示す、一見すると、危険極まりないように、見える、今日のような演武も、厳しい鍛錬を行ってきた、少林拳の達人たちには、全く、危険なものでは、ありません。今日のような、アクシデント、は、今まで、一度も、起こったことは、ありません。今回が初めてです。ですので、お客様がたに、おかれましては、少林拳は危険だ、というような、間違った偏見を、持たれないよう、切に切に、お願い申し上げます」
と、司会者は言った。
「それでは、これをもちまして、本日の、少林拳の、演武大会を終了とさせて頂きます。みなさま。どうか、盛大な、拍手をお願い致します」
と、司会者は、言った。
パチパチパチ、と、会場には、盛大な、拍手が、起った。
急いで、ステージに、幕が、サーと引かれた。
私には、司会者の焦りの、気持ち、がわかった。
日本には、たくさんの、中国拳法の演武会、や、中国拳法の教室、がある。
それらは、日本で、ビジネス、として、成り立っている。
中国拳法は、危険なもの、と、思われてしまうと、それらの、ビジネス、が、出来なくなってしまう。
日本政府が、少林拳の演武は、危険なもの、として、禁止してしまう可能性もある。
それを、おそれて、司会者は、中国拳法、少林拳、は、危険なものでは、ない、と、必死で訴えたのだ。
私たちは、演武会が、終わった後、午後のザ横浜パレードを見た。
パレードが終わった。
「じゃあ、オレは、用があるから、帰るよ」
彼が言った。
「私も、図書館に、行く用事があるんだ」
と、私は言った。
「じゃあ、またな」
そう言って、私たちは、関内駅前で別れた。
・・・・・・・
私は、医学関係のことで、調べたいことがあったので、横浜中央図書館に、行った。
私は、図書館の閉館の、7時まで、横浜中央図書館、で、勉強した。
図書館が閉館すると、私は、関内駅に向かった。
腹が減ってきたので、私は、伊勢佐木町にある、ある中華料理店に入った。
私は、ラーメン炒飯セットを注文した。
すると、私の、後ろのテーブルで、話し声が聞こえてきた。
「しかし、楊斯も、バカなヤツだな」
「そうだな。無茶し過ぎだよ」
「少林拳の、イメージが台無しだよ」
「日本政府は、少林拳の演武、は、危険だから、と言って、禁止するかもしれないぞ」
明らかに、今日の、少林拳の演武の話だった。
私は、そっと後ろを振り向いた。
すると、今日、少林拳の演武をしていた、人たち、が、集まっていた。
司会者もいた。
「あなた達は、今日の、少林拳の演武大会の、人々ですね」
私は、そう、彼らに、話しかけた。
「あっ」
彼らは、気まずい、顔つきをして、黙ってしまった。
「今日の、楊斯さんのような、アクシデントは、本当に、今日が、初めてなのですか?」
私は、勇気を出して、司会者に聞いた。
「決して、誰にもいいません。私は、正確な事実を知りたいだけのです。ですから、ぜひ、本当の事を話して頂けないでしょうか?」
私は聞いた。
「本当に、誰にも言わないと、約束してくれますか?」
司会者が念を押した。
「ええ。約束します」
「では、特別に、お話しましょう」
そう言って、司会者は、話し始めた。
「少林拳で、あのような、アクシデントが、起きたのは、初めてです。少なくとも、私の知る限りでは。ですから、少林拳は、決して、危険なものでは、ありません。少林拳の、修行者は、みな、厳しい鍛錬を、長い年月、かけることによって、不死身の肉体、と、なっているのです。少林拳の修行者は、みな、精神力が強いのです。もちろん、楊斯さんも、少林拳の厳しい、修行を、経てきているのです。しかし、楊斯さんの、少林拳を、極めたい思いは、他の、修行者とは、比べものにならない、ものだったのです。楊斯さんは、体を筋肉だけにして、体脂肪率を、0、に、まで、しようとする、無茶を何度も、しました。そのため、食事は、プロテインだけしかとらず、炭水化物、や、糖質、は、一切、摂りませんでした。そのため、低血糖になり、脳に糖が行かず、失神してしまうことが、何度もあったのです。みんな、彼の根性を、凄い、と言いましたが、同時に、あまり無茶をするな、そんなことをしていたら、死んでしまうぞ、とも、忠告していたのです。楊斯さんの、妹さんも、(お兄ちゃん。お願い。あめ玉でもいいから、なめて)、と、何度も泣きながら、頼んでいたのです。しかし、楊斯さんは、(僕は、少林拳を極めることに、命をかけているんだ。少林拳を極められなかったら、僕は、死んだ方がマシだ)、と言って、妹さんの、忠告も、聞きませんでした。しかし、自分に、厳しい修行を課すことによって、楊斯さんは、少林拳の達人になりました。今回の演武大会の時も、楊斯さんは、自分の体を鉄の筋肉だけに、鍛え上げるために、食事は、タンパク質、だけで、炭水化物、や、糖質、は、一切、とりませんでした。私も、皆も、楊斯さんに、そんな無茶はするな、と、言いましたが、楊斯さんは、聞きませんでした。私は、楊斯さんの演武が心配でなりませんでした。楊斯さんは、修行の時も、どんなに、叩かれても、決して、痛い、と、言わないからです。実際は、絶対、相当、痛かったはずです。楊斯さんは、人間離れした、根性の持ち主でした。あんな人は、本当に、例外なのです。我々も、楊斯さんに、あまり、無茶をしないよう、何度も忠告していたのです。しかし、楊斯さんは、聞きませんでした。そして、痛みに耐え、糖分を全く、取らなかったため、脳に糖が行かず、死んでしまったのです。これでは、少林拳は、危険な武術と思われ、禁止されるのではないかと、私は、不安に思いました。そのため、焦って、少林拳の安全さ、を、話したのです。実際、少林拳は、ちゃんとした修行を積めば、決して、危険なものでは、ありません。楊斯さんの場合は、極めて例外的なのです。これが、本当の所です。どうか、このことは、他言しないよう、お願い致します」
と、司会者は、言った。
「そうだったんですか。わかりました。決して、誰にも言いません。教えて下さって、ありがとうございました」
私は、礼を言った。
そして、立ち上がって、レジで、金を払い、店を出た。
そして、横浜市営地下鉄に乗って、家に帰った。
そして、楊斯さんのことを、考えだした。
楊斯さんは、(僕は、少林拳を極めることに、命をかけているんだ。少林拳を極められなかったら、僕は、死んだ方がマシだ)、と、言っていたのか。
命をかけて少林拳を、極めて、死んでしまう、のと、無茶はしないで、人並みの、鍛錬をして、少林拳の達人となって、それで、満足して、生きていく、ことの方を、選ぶ、のと、どっちが、いいのだろうか、と、私は、考えた。
私には、どうしても、無難な後者の選択の方が、いいと、思った。
しかし、楊斯さんにとっては、超人的な修行をして、少林拳の最上位の達人に、なれて、死んだことを、後悔しては、いないのかも、しれない。
一般の人間が、常識人の感覚、や、価値観で、人並外れた、人間の生き方の、是非を、判断することは、出来ない、だろうし、してもならない、と、私は、思った。
令和2年8月3日(月)擱筆