朱喜哲『〈公正〉を乗りこなす』読了メモ

Xにポストした記事のまとめ、自分用メモです。そのうち加筆修正もあるかも、ないかも。

朱喜哲『〈公正〉を乗りこなす』読了、とてもよかった。最後の議論、構造悪玉論的言及や、「ミクロよりマクロを分析しコントロールしなければならない」かのように価値を階層化することは、全ての存在の背後にあり支配的価値を自己主張する「真理の追求」っぽくなりそうな。

「個人ではなく構造」と明確に他責化させず、ここはカチッとした二分法を捨て、準主体・準客体のようなふんわり概念でゆるっと和らげたい感じ。まあこれ自分が超自責型ゆえ、その罪の意識をどうしても捨てられない(捨てたくない)という悲しい生き物だから感じる違和かも。

完全に異議なしなのは「残酷さを低減すること」について。なおこの方針は不特定多数に向かうSNS上や議論の場においてのものであり、たとえば文芸の場にまでこの拘束力は及ばないと判断してる。芸術は本書の言い回しによると「メンバーシップ制クラブ」に属すると思う。芸術表現の自由は確保される。

いかに妥当性のある批判と自己評価しているとしても、そのことが表現される場が公であるなら、出来得る限り表現上の残酷さを低減した状態で提出しなければならない――これがここ最近、新たに自分へ課した制約。まあこれだって自己評価に過ぎないんだけど、自律のための抑止力にはなるんじゃないかね。

戦争という行為は、本書にいう個別的「善の構想」を、支配力の言い換えであるような正義の地位へそっくりスライドさせようとすることであると思うが、本書に表現される正義はそのようなものではなく、むしろこれを参照する者の言行を精査し、律する力を持つものだと思う。

02/06追記
この正義の内容は完全に固定された真理のようなものでなく、つねに個々人からその内容を問われ、必要に応じて徐々に変化するものとする。これは急激に変化しすぎてもたぶんよくなさそう(多くの人がついていけず反発することになるから、かな?)。

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