私は暇だということに気づいた話 ♯168
時短だとか、タイパだとか、効率化だとか、そういうものにいつも心惹かれて、便利グッズを買ってみたり、倍速再生してみたり、そういうことを散々、やってきた。
ワンオペではないにせよ、フルタイム勤務のワーママ、忙しいだとか、時間がないという言い訳をついついしがちだ。
本当に、忙しくて時間がないと思っていたけれど、それは思い過ごしだということに気付かされた。
この夏に、息子がポケモンGOを始めて、出勤前と夕食後に一緒に散歩をするようになった。
息子はゲームをしたいし、母はウォーキングをしたい。
いや、別にウォーキングにこだわりがあるわけではない。
https://note.com/light_panda2525/n/ndb176ec6a5e0
小2の息子がゲームを続けるためには、母がログインしたタブレットを持ち、母の携帯のWi-Fiを使うという、自分ひとりでは達成できない前提があるのだ。
ゲームをしたい息子は母と散歩をするために、自分で決めたほんのちょっとの量の勉強と、ふとんの片付けやら、床掃除などをして散歩にそなえている。
自分のためでもあるけれど、同時に母のためでもある。その逆も然り。
だから続く。
平日でも毎日1時間は散歩に行っている。
2ヶ月ほど、そんな生活が続いている。
散歩するのが、だいたい近所の大きな運動公園なので、朝から結構な人がウォーキングをしたり、部活の朝練のようなものに取り組んでいる。
本当に足が速い人たちの、足が速い理由は、こういった日々の積み重ねで作られていることに気づく。
私はそういう姿が美しいなぁ、と思うし、毎日、彼らの姿をみて、ちょっぴり感動している。
毎朝、6時半はラジオ体操の時間だ。
こちらはご近所のご高齢の方が殆どで、時間になると集まり、日課として取り組んでいる。
これも素敵な光景で、タイミングがあえば私も一緒に体操をする。
息子は、朝から母が運動したり、朝練の姿に感心している間も、熱心にゲームをしているのだから、順調にゲームのレベルをアップさせている。
とはいえ、周りの様子も少しは気になっているようで、特に週末で時間がたっぷりある日は、キリのいいタイミングで母にタブレットを預けて遊び出したりする。
まあ、それくらいでいいかな、それくらいが息子にはちょうどいいのかな、と思う。
それにしても、毎日散歩に1時間以上行くなんて、出来るんだ。という驚き。
そのために、サッサと片づけたり、食事の準備をしたりはするけれど、何かを削ったりは特にしていない。
なんだかんだ忙しくしていたつもりだったけれど、単に暇でやることが特になくて、結果ダラダラしていただけだったということに気づく。
やることがなければ、いくら時短に取り組んでも意味がない。
自分を忙しくすれば、必然的に効率的に動かざるを得ない。そういう状況になると、どうすれば時間を生み出せるか、自分の頭で考えるようになるし、動き出す。
時間がないという言い訳をするよりも、時間をどんどん作り出す工夫が出来る人でありたいと思う。