優越感と劣等感

昨日の投稿で、自分が投稿をしたあとに、著名なパーソナリティーの発信で似たような趣旨の発信があったときに感じたことを書いた。

同じことを感じて既に発信済み、という事実が、ちょっとした優越感をもたらしてくれる。

発信ビギナーの優越感と主体性の芽生え #109

投稿後、布団に入ってから、「優越感を感じる」という変な表現をしてしまったことに気づく。(現在は修正済)
「頭痛が痛い」と同じ残念な表現だ。意識しておかないとつい使ってしまう。

そんなことをぼんやり考えていたら、「優越感」という単語がやたらと頭に残り、ざわざわしだした。
いや、優越感ってそもそも何?どうして?なぜそう思ったの?
このスッキリとしない感情はいったい何なのだろう。

起床後、スマホの辞書に意味を問う。

ゆうえつかん【優越感】
自分が他人よりすぐれているという感情。⇔劣等感。「━に浸る」

大辞林 第三版

私は、誰に対する優越感にしばし浸っていたのだろうか。
「私より学んでいない誰か。」
「うわっつらばかりで中身のない誰か。」
それって私自身のことじゃないだろうか。
(深掘りすると、ネガティブ罠にはまる。。。)

浸りすぎは確かによくないよね。
比べる相手が、特定の他人だとよくないけれど、過去の自分に対してなら、優越感=成長を実感できる、と捉えられるしいいんじゃない。

そうやって、ちょっと強引でも、あえてポジティブに捉えてみる。

「あの人が言う1日前に、同じこと書いててん」とドヤリたい。
それだけ、アハハ~。
でも、その裏には「すごいね」って誰かに言ってほしい気持ちが確かにある。
「誰かにどう思われるか」よりも「自分がどうあるか」が大事だなんていっておきながら、承認欲求が高く、周りの目線を思いっきり意識している私。

優越感は劣等感の裏返し

姉のように勉強ができるわけではない。
妹のようにスポーツ万能ではない。
私はいったい何ができるのだろうか。

子どもの頃から劣等感の塊をおなかの奥底に秘め隠し、必要以上に誰かと比べてはコンプレックスを感じ、それを笑顔や自虐でカバーしてきた。

深掘りすると、自分の本当の心の声が聞こえてくる。
あまり触れたくないこともあるけれど、いつまでも蓋をするのではなく、自分の感情としっかりと向き合えると、スッキリする。

自分は自分、他人目線を気にしすぎず、自分の人生を楽しみたいだけ。
そろそろ、優越感からも劣等感からも解放されたい。
だから、優越感と劣等感は、とりあえず私の語彙録からは消すことにした。

「私が言った翌日に、同じことを先生が言っていた!」

目の付け所がいいね。
センスあるね。
本質ついているね。

ささやかな成功体験の積み重ねと自己承認が、カチカチだった劣等感の塊をやさしく溶かしていく。

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