徒然日記(漫画ミュージアムで得たもの)


ゴールデンウィークの最終日、子どもと一緒に漫画ミュージアムに行った。

私は、漫画と言えば、子どもの頃に、「ちびまるこちゃん」を読み、高校生の頃には友人の影響で紡木たくの「ホットロード」に一時期はまったくらいで、他に印象に残っている作品はあまりなく、漫画を読む習慣もない。

たまたま近くで用事があったこと、
1日1チャレンジ、何か新しいことに挑戦してみよう(できれば子どもも一緒に)という考えもあったので、とりあえず行ってみた。

ミュージアムの中は、大量の漫画の本棚と、閲覧用のいすと部屋がいたるところにあり、みんな静かに漫画を読んでいる。

私たち親子は、漫画を見る習慣もないから、大量の漫画が埋まった本棚をみても、どこから何を選べばよいのかわからず、、、とりあえず子ども図書室というコーナーに腰をおろした。

小2の息子はお気に入りの科学漫画サバイバルシリーズを読み、年長の娘は昭和っぽいアニメが再生されているテレビ画面のまえで、姿勢よく座っていた。

せっかくなので、私も何か読んでみようかと見回すと、歴史漫画や学習漫画が揃っていて、そのなかに、「徒然草」があった。

つれづれなるまゝに、日ぐらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

吉田兼好 徒然草

はるか昔に学び、「徒然草」というタイトル、冒頭の文章と作者は吉田兼好という情報だけは記憶していた。

内容は全く覚えていなかったけれど、「徒然なるままに」というスタンスはなんとなく気に入っていた。
 
最初は「学びのアウトプット」が目的だったnoteでの発信だが、いざ始めてみると、学びのアウトプットだなんてそんな格好いいものではなくて、「ただの日記じゃん」

私のnoteは「徒然日記」なのだ。
徒然草の中身、知らないじゃん、と心の中でひとり突っ込みをしつつ、勝手にシンパシーを感じていた。

「漫画なら読めるかな?」そう思って手に取った。
御室、仁和寺、双ヶ岡、、、うんうん知っているその地名。
(保育園の散歩先で子どもたちにも馴染みのある場所)いきなり親近感。

読み進めると、人生観や心得を説いたものが多くてびっくり。
まさか、今日、漫画ミュージアムで徒然草の内容に共感するなんて想像もしていなかった。
昔も学んだはずだが、その当時は試験のために暗記するだけのもので、古典を味わう、古典に学ぶという心構えが全くなかったということだと思う。

能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得てさし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。いまだ堅固(けんご)かたほなるより、上手の中にまじりて、毀(そし)り笑はるるにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性その骨(こつ)なけれども、道になづまず、みだりにせずして年を送れば、堪能(かんのう)の嗜まざるよりは、終(つい)に上手の位にいたり、徳たけ、人に許されて、双(ならび)なき名を得る事なり。
天下のものの上手といへども、始めは不堪(ふかん)の聞えもあり、無下の瑕瑾(かきん)もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして放埓(ほうらつ)せざれば、世の博士にて、万人(ばんにん)の師となる事、諸道かはるべからず。

徒然草 第150段

今は下手だから人前では出来ない。うまくなったら人に披露する、という心構えではいつまでたっても上達しない。
初心者だからと言って恥じずに、下手だと言われても恥じずに精進せよ。

あぁ、これは私の話ね。
もちろん、似たような話は聞いたことがあって、最近は完璧を目指さず、8割主義で、とりあえず実践する、アウトプットすると意識していたところだった。
まさか、徒然草にそのような記述があるとは想像もしていなかった。
「古典に学ぶ」ってこういうことか!がようやく自分事として理解できた感じがした。

この気づきを得るために、漫画ミュージアムに行くようになっていたのだなと思う。

滞在時間は短かったけれど、私にとって大きな気づきが得られた。

おまけ、漫画ミュージアムの見どころ、漫画家さんの石膏手形。
漫画知らずの私でも知っている作家さんも多く、手の大きさ、ペンの握り方、親指の爪の形まで感じられて、なんとも興奮。
宮崎駿監督、養老孟司先生(漫画家!?)の手形が並んでいてさらに興奮。
手フェチなのかもしれない。
よい休日が過ごせた。



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