友達は無理に作らなくていい
友達って?
2年生の息子にとっての「友達」は保育園時代を一緒に過ごした仲間。
小学校のクラスメイトは、まだ彼の中では「友達認定」されていない。
決して小学校に友達がいないわけではない。参観などで小学校に行くと他のお母さんが、「いつも仲良くしてもらっているの」なんて、声をかけてくれる。ありがたいことだ。
それでも、休みの日が来るたび、会いたいのはいつだって保育園の時の友達。2年生の彼が考える「友達」は、保育園での濃密な5年間、寝食を共に過ごした仲間たち。
旧知の友たちは、新しい環境で新しい友達をつくり、世界をどんどん広げていて、なかなか会うのが難しくなってきているという現実。
まだまだ保育園時代を引きずる息子。切ないよね。
小学校の友達とも一緒に過ごす中で、少しずつ信頼関係みたいなものが出来てきて、気が付いたらかけがえのない友達になる、そういう出会いがあればよいなと思う。
2歳の頃の保育園の連絡ノートに、次のように書いていた
家に遊びに来るのが「友達」で「保育園には友達がいない」と言っています。
今と一緒だ。
もちろん、2歳の幼児なので、「友達」の意味もまだよくわかっていなかったのだろうと思う。だけど、彼は自分の仲間を認識するのにはちょっと時間がかかるタイプなのかもしれない。
さて、自分はどうだっただろうか?
私自身は、どちらかというとあたりさわりのない友達付き合いがほとんどで、友達は決して多いとは言えない。
知らず知らずに友達を厳選しているようなところがある。波長があわなかいとか、自分と価値観が全くあわない相手は、私にとって「本当の友達」にはならない。
そっか、彼も私と一緒なだけだ。
私だって、うわべの友達付き合いができないのに、本人の気が進まないのに、友達関係を成立させようとやきもきすること自体がおかしいことに、やっと気が付いた。
もちろん、そんなに小難しいことは考えずに誰とでも仲良くできる人もいるし、ちょっと羨ましいし、素敵だと思う。
でも私たちは、どうやらそういうタイプの人間ではなさそうだ。
保育園で大好きな友達に出会えた彼は幸せだなと思う。
もちろん彼らと、これからも長く付き合い親友になるかどうかなんてわからないし、彼にとっての友達、心を許せる仲間との出会いがどこにあるか、いつくるのかはわからない。
でも、だからって焦る必要はない。
自分の好きなことを中心にちょっとずつ世界を広げていけば、どこかで必ず素敵な友に巡り合える。それでいい。