発表会は誰のためのものか

年度末が近づき、1年間を総括するような行事が各園で行われている。
先日、保育園の発表会観覧帰りの年中男の子のお母さんが、合奏曲の鉄琴の前で、ただ固まっていただけだったと、ひと嘆き。

あっているかな、どうしたらいいんだったっけと周りの様子をうかがいつつ、考えて手や体を動かしたり、緊張で固まってしまったり。
いろいろなものを本能で純粋に楽しんできた彼らにとっては、しっかりと考えて、気持ちも調整してというのは、簡単なことではない。
気持ちが豊かになる分、複雑にもなる。いろいろな感情が芽生える。

私たちは、「できる」とか「できない」ではなく、新たな自分と出会っていく過程で葛藤している子どもたちに向き合い、ある時はじっくり待ち、見守るという姿勢が大事だと、つくづく感じる。
保育士も完成度を上げるために躍起になってはいけない。発表会は保護者のためのショーではなく、子どもたちの日々の暮らしの延長線上にあるものだ。

目の前にうつったわが子の姿を、周りの他の子と比べて悲観したり、ちょっと安心してみたり、というのは全く意味がない。誰一人として同じ子はいないし、才能の個性もすべて違うのだから。

「お兄ちゃんは出来ていた」とか「まわりの友達はみんなやっている」だから、「こうあらねばならない」ではなく、今の姿をまずはごくごく自然に受け止め、ただにこにこ見守ること、それが子どものこころを満たし、成長を後押しする一番の方法だと思う。

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