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雑記 2025.02.20

 お疲れ様です。
 昨日ぐらいから紙ストロー問題のニュースが気になってしまい、自分の過去作のこともあって色々考えていました😅
 今回はまずその話から。個人的な感想の類をなるべく簡単に述べているにすぎませんので、どうか皆様ご注意ください。
 
 とりあえず海のゴミの話題を見つけましたが、その話ではゴミと漂着物の区別、自然に分解されるものと分解されないものの区別がどうなっているか、よく解りませんでした。
 例えば漁業用の縄とかの場合、近くに漁港があると景色に溶け込むように感じる方もいるかもしれませんよね。それもゴミと言えばゴミかもしれませんが、景観を大きく損ねず生態系への害が少ないものもあるのではないかと考えられました。
 一方で海辺のシャンプーボトルとかの場合、かなり違和感があって悪目立ちしてしまうかと思います。主観ですが実際に最近の自分が海辺に赴いた際、気になった度合いが高いのはこれらの海の環境の営みとかけ離れたものでした。それから漂着ブイはプラスチックのものが多かったと思います。
 また、分解の点ですが、それがなされないで誰も片付けないままだと増え続けるばかりなので、自分が亡くなった後の未来でやばいことになっていないか、何かや誰かへネガティヴな負担をかけることにならないか、この辺りはちょっと心配なところです。もしかしたら規模の少ない景観面、心象面や感覚的な問題が大きいのかもしれませんが、自分的にはポジティヴ一辺倒にはなりきれないという感じです。
 こう考えて行くと"全てを自然の循環系にのせる"理想主義な態度も求められてしまいそうですが、それだとかなり小さいレベルの問題にも対処しなければならなくなりますよね。環境問題を巡る厄介なポイントの一つで、特に理念や情動に偏ると過激にもなりやすいのではないかと考えられています。ただし一方が"全ての〜をなくせ"と主張している中で、もう一方が小さな物事を盾にしているのかもと考えたりもしています。
 大胆さが重視されるターンもあるはずですが、現状のいわゆる"持続可能"は、コントロール出来るかの点も視野に入れていると信じたいところです。あまり具体的なものではありませんが、自然の循環系にのらなくても処理をしっかりする、適切な管理の下で許容されている、などなど。
 ですがそのコントロールの部分はどうなっているか、民主主義的な形か、個人の自発的なレベルでやっているにすぎないのか、それで形骸化していないかに焦点が当たることもありそうですね。
 
 自分の過去の短編『沙水』は期間を置いた後でまとめて再掲載することも考えていますので、上記や今後学んだことも踏まえて内容をブラッシュアップさせるつもりでいます。文化や芸術活動でネガティヴな心象の緩和は出来るかもしれない、それで問題を覆い隠すことにもなるかもしれない、などと注意すべきことは山程ありそうです。とりあえず過激に走らない点は維持したままでいたいです🙂
 また、次以降に予定している短編で、地球環境が人工生命?のデジタルな暮らし向けにテラフォーミングされている、みたいなフィクションすぎるおバカな設定を考えていたのですが(人の生活がオンライン環境に比重を移して行く中で、皆段々現実に無頓着になってゆっくり穏やかに現実の文明が衰退した後、かなり未来の話。とりあえずありがちなAIの反乱系の流れとは無縁の緩い感じに)、そのコントロールの点にも学んだことを取り入れてみるかもです。生き残った人の一団が意思決定に関わっている案も新たに持ち上がっています。
 こちらの短編は少なくとも来月以降、IT用語にもっと慣れてから作るつもりですし、潔くやらない決断をするかもしれません。とりあえず元の構想に近い形でショートショート作りも始めています。先日公開した『仕事の帰り』がその一章目で、こちらは同じ主人公の全四章の連作ショートショートにする予定です。ただし既に構想離れも進んでいて、当初に思い描いていたロードムービーな作品にはなりそうにありません。IKEAに行くぐらいなグダグダな話になりそうな感触です。
 
 その他、短編の『ユアンの地図』では試験的な形で、土地名やらの情報をなるべく実名で表記しています。作中で海外のアニソンのことを話題にしていますが、国内作品や邦楽でも沢山思い浮かびます。一番のお勧めは『残響のテロル』のオープニングテーマです🙂
 今月はガンダムのジークアクスの影響を受け、自分の好きなロック系が中心のアニメ関連曲のプレイリストを作っていました。フリクリの曲やサニーボーイの曲などが入っています。
 最後に余談ですが、ハロルド作石さんの新しい音楽漫画が始まったので読み始めています。プライベート面では六本木の森美術館の展覧会に足を運んでみようと考えています。それでは。またよろしくお願いします。