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雑記 2025.01.10

 お疲れ様です。
 年始期間は空いた時間にswitch版のFANTASIAN Neo Dimensionで遊んでいました。
 マルチバースの世界観ってフィクションでどう描けば良いかが個人的な悩みどころでした。ダウンスケールさせて海外サッカーの試合の視聴環境で表現しようとしたこともありましたが、こちらのゲーム設定は今後作成する上での好例になるかもしれません🙂
 
 
◾️小旅行などなど
 
 年末にお伝えしていた鹿島神宮から砂丘の日帰り旅行、川村記念美術館への探訪も休みの二日間で無事に済ませて来ました。
 後者は何度も足を運んだ思い入れのある美術館です。前々からシャガールの絵画が好きでして、自分の文章に浮遊感を持たせたい時など頭の中で作品をイメージする時があるのですが、好きになったきっかけはこの美術館での鑑賞体験だったと考えています。今のところは三月末で休館して縮小移転するという話を聞いていますが、少し寂しい感じがしちゃいますね😟
 次の短編舞台にと考えていた砂丘については事前に思い描いていたイメージとは大きく異なりましたが、銚子市を含めた界隈で午後の時間を過ごし、自作向けの様々な着想を得ることが出来ました。漂着ブイなどを所々で見かけたので不思議惑星キン・ザ・ザっぽいテイストの物語の種が多かったです😅
 より描きやすい何度も訪れたことのある場所にし砂丘を砂浜に変更するか、匿名的な場所にしたりいっそ異世界にするかなど、作品舞台については今後再検討して作成に取り掛かります。とりあえず近くの改装されたビニールハウスを登場人物が寝床にしている案は固まりました。
 それから鹿島神宮で撮影した写真をnote上のプロフィール画像に設定しました。こちらはファイナルファンタジー7の神羅屋敷に出て来るインさんとヤンさんみたいな(リバース版はやっていません。PS5自体持っていない)趣きがありそうですが、自分的には古い映画のカリガリ博士を意識して撮影したものです🙂
 
 また、一人旅でしたので、電車内では本を開きがてら80年代頃のハードコアパンクの音楽をこっそり聴き続けていました。去年と一昨年も聴いていて内面的には近寄り難い雰囲気を醸し出していた気がしますが、チェーンソーマンのアニメ版を視聴して同作にグランジ前段階の音楽シーンに通底するものがあると感じまして(あくまで個人的な感想です。作中の年代は漫画の方で前世紀末頃と明かされていたことに後で気づきました😅)、それでアニメ放送がひと段落した後の一昨年の正月頃に同ジャンルのプレイリストを拵えて深掘りを始めていました。去年も変な曲ばかり集めたなと思い返しながら改めて聴いていましたし、その流れで今年も聴いてみた感じです。
 著名なミュージシャンがアニメのテーマソングを代わる代わる担当した点も80年代頃の(?)MTV的だなと感じるところがありましたが、むしろグローバリズムに対するローカリズムや個性的なものを尊重しているのかもしれません。自分がMTVをよく視聴するようになったのは世紀の変わり目頃でしたが、昔読んだ本で世界の音楽の均質化に貢献したというような記述を読んだことがあります──後のネットの情報拡散や共有の機能を早い段階で担っていたようなものかと考えています。
 それでハードコアやローカルな音楽シーンの灰汁の強さみたいなものをチェーンソーマンにも覚えていたのですが、あるいはこの点は原作がホラーを追求した結果がそれっぽい音楽に通じたということなのかもしれません。アニメの方で緑豊かな場面の描写から映画のスタンド・バイ・ミーを連想したところも個人的にありました。
 自作絡みの余談ですが、音楽絡みのマニアックなネタを結構活用して散りばめています。例えば短編の『センシティヴな問題』の恋人になる相手との音楽話の場面ですが、テレビ神奈川のビデオ星人という音楽番組やBUMP OF CHICKENのCMをよく見ていた体験に脚色を加えて描写しています🙂
 
 
◾️自作でのテクノロジーやファンタジーの扱い
 
 年明け後に色々投稿していますが、改めて本年もよろしくお願い致します。
 少し作品の説明をさせて頂きますと、新年最初のショートショートでカラスの話をしていますが、この辺りは実家近所のゴミ捨て場の様子に着想を得ています。
 カラスはサッカー絡み(日本のシンボルに使われる八咫烏)や漫画ハイキュー!!からも愛着のある生き物なのですが、自分の近所ではペットボトルやネットなどの対策をしても攻略して来る状態が続いていまして、その攻略の様子に近年は軽く怖さも感じるようになっていました😨
 それで子供の頃に比べて格段に狡猾になっているとも考えましたが、今の子供が大人になっても同じ状況が続いているかは疑問符がついたのですね。人側の策の方がいずれ尽きそうですし、そうなると放置や共生の道を模索するものなのかとか、これってAI問題にも通じる面がありそうかなとアレコレ自分の中で考えを続けていました😅
(通じない面もそれ以上に考えています。ご安心ください)
 
 価値観や基準の不在から生じる諸問題は実社会でも様々にありそうですが、フィクションのファンタジーも危うい空洞を持ち得るものかと考えています。なので自分の場合、ファンタジーの良さや間合いや余白を重んじる日本文化との親和性の高さを尊重しながらも注意深く接していたいと心がけています。
『エレクトロニカ2025 Jan.10』もそうした考えを念頭に置いて書いてみましたが、今回この場を借りてより踏み込んだ形で自作でのテクノロジーやファンタジー描写やらについて説明してみます。
 テクノロジーに関しては専門的な立場でもありませんので、近未来的な話でも広く知られているだろうものを活用することが多いです。新奇性は乏しいですがあまりその手の華々しさは求めずのスタンスでして、キャプテン翼やドラゴンボールの必殺技に対するハイキュー!!のそれをイメージされると解りやすいかと思います。
 短編の『見えない帽子の劇場』もそのやり方で作っていました。ただし本当にそんな演算処理や高機動性を発揮することが可能なのか、と言った辺りは概ね「フィクションなので」と言った形で済ませています。
 一般的なテクノロジーでありながらもファンタジックに見えるとすればそのためかなと考えます──本来はフィクションの不十分な特性に由来するものかと考えていますので、そこは自分では誇らしげに語る気にはなれません。
 またそして、フィクション的に脚色する中でも大きな無茶になりそうな設定は避けたり、時には自分自身の日常からの懐疑的な視点を導入したりしています。現実的でありながらもちゃんとお話として楽しめるようにしているなど、好意的に解釈して頂けると有難いです🙂
 一方で同作の中ではゲーム描写で色々とファンタジックなことになっていますし、他の作品でも純度の高いファンタジー描写が沢山と感じられるかもしれません。その点は大半がVRやサイバー環境であることから割り切って書いている面があります。円城塔さんの著作内で被書宇宙という考えが説明されていましたが、それに近い感じでしょうか──ミシェル・ウェルベックさんの著作内(ある島の可能性)では、主人公が芸術話をする場面でVR内の神話描写が主流をなしているという記述も見かけました。
 それで自作の『少年フクロウ』は上記の形で作成しましたが、『時の難民』は土台からして作られた世界なのに日常的な話に終始させています。『invalid』はまた少し毛並みが異なりまして、自然現象を神々の働きに喩えた神話的な作り方をしています。それから同作の主人公は記憶が過剰に変異する被害に苦しんでいる面があるなど、描写の手法が自分の価値観と一致するものでない場合もあります。自分自身は脳科学の本を読んで唯物論的な考えについて知ってからはその見方に傾いていますが、言葉自体に不完全なところがあると考えますので、全ての言語化が可能とまでは考えていません。
 他にはファンタジックな作品でも心理的な動機が控えている場合もあると考えますし、魔法を扱うフィクションでも言語化が進展している葬送のフリーレンみたいな作品があると思っています。本当に多種多彩なフィクションを自分なりに考察したりしながら楽しく鑑賞することが出来ています🙂
 また、ガンダムってメカは出て来るけどファンタジー色が濃い作品かなと考えていたのですが、水星の魔女を視聴したら上記で触れたフィクション的な脚色レベルの設定なのかと捉えられるようにもなりました。
 でも作っている側がそれを望んでいるかは別問題かなと考えています。自分の場合はやはりフィクションで良いよ、大丈夫だよで書いていることが多いです😅
 余談ですが、膨大な情報処理の点では攻殻機動隊に馴染んだ後で勇午という漫画のエピソードに触れてぞっとした経験もございます😅
 
 
◾️水星の魔女のキャラクター分析
 
 水星の魔女は各話で二回以上視聴して自分なりの考察が捗った作品でした。ネタバレを含みますが、主要キャラクターの性格を線で表すとどんな感じになるかを放送期間に考えていましたので、最後に紹介致します。これも自己流のフィクション分析や感想の類でして、自分なりの用語を使っていたりともすればこじつけ的に感じられることもあるかと思われますので、ご注意ください。
 
グエルさん:直線
エランさん:曲線
シャディクさん:太線(樹状線)
ミオリネさん:共感線
スレッタさん:不明・紐線?
 
 最初の直線は解りやすいかと思います。愚直や実直、誠実だったりの性格を表す線と考えています。グエルさんの場合は挫折や迷いを経て魅力的に成長する様子が全編通して描かれていましたが、それに伴い当初の豪胆さみたいな一面は減少して行き、直線の性質も愚直系から実直系などのおよそポジティヴ方向に変化する様子が窺えていました。
 
 曲線にはあまり良いイメージが湧かない方も多いかもしれませんが、自分の中では物語的な力と兼ね合う重要な線です。テレビドラマなどで恋人がいるのに別の人と仲良さそうにしてて、その様子を見かけた恋人と気まずくなるような場面がよく描かれるかと思いますが、その時に物語的な力があると拗れることは減少するかなと考えています。そのような説明の能力を意味するものとして物語的な力の言葉を使っていますが、エランさんの場合は該当場面がろくに描かれないか伏せた状態になっていたのですぐにはピンと来ないかもしれません。
 一方で曲線的な性格は捻くれや変化球投手・隠し玉的なところなど、序盤から色濃く現れていたと思います。それで外見はほぼ同じな別人物=強化人士という際どい展開、むしろ主人公のスレッタさんを誘惑するような展開や新たな出会いを挟んで終盤に至りますが、その過程で強化人士側の心のあり方が変化する様子は丁寧に(閉じこもった状態も長かったのである意味文学的に)描かれていたと思います。
 要するに曲線を重ねて全身や全編を通して物語的な力を発揮していたと見ていました。ドラマなどでも曲折を経る中で説明した結果になって関係改善に至る流れが一般的ですかね😅

 太線は二択の択一問題の両取りを可能にする線と考えています。自分が太くなることでその結果をなし得えますが、シャディクさんからはそうするやり方につきまといがちな曖昧化する一面はろくに感じられませんでした。
 一方で指揮下の女性たちの存在や働きがありましたので、その辺りの事情から自分の考えも軌道修正しました。彼女たちが枝分かれみたいな役割を担うみたいなところもありましたし、地下組織との繋がりがある辺りは地下茎的でしたので、樹状線=一本の木のような線とする方が相応しい感じがしています。左右の手を使い分けられるペテン師的な面はずっと健在だったと思います。
 
 共感線は解り辛いネーミングかもしれませんが、ゴチャゴチャした状況からでも最適な答えやプランを導き出せるとして、そのように示される線の意味で自分は用いています。逃げ上手の若君をアニメで見ていましたが、同作の主人公が毎度逃げ道を見出す力と通じるものがあると見ています──ガンダムではファースト最後の要塞からの脱出劇もそんな感じでしたね。
 水星の魔女の作中では序盤から経営・コンペの場面でこの力を振るっている様子が描かれています。個人的には空間演出なども絡むところがあるのかなと考えていますが、幼い頃から周囲の注目を集めていただろう境遇も関係して育まれた力なのかもしれません。
 また、逃げ上手さんの方の視聴した範囲では主人公自身はシステム的な状況打開は得意でも長期の戦略的な思考は苦手と描かれていましたが、ミオリネさんの場合はその点を苦にしていた様子はあまり見られませんでした。
 作中では終盤に自分の身が共感を受けるべき実際的な──シャディクさんらに嵌められた的な──状況に陥ることで窮地は迎えていました。放送の前期ラストの衝撃展開も現実的な大きな困窮状況には不慣れな様子を示唆していたのかなと感じました。
 それから全編を通してですが、共感とは真逆にあるようなツンとした態度を示すことが多かったようにも思います。壮大なツンデレみたいな性格の形容が相応しいのかもしれません😅
 
 最後のスレッタさんは上手い線の喩えが見当たらなかったのですが、特殊な境遇から考えると所謂非線形だったり作中の異世界と通じる紐線的なところがあったのかもですね。
 
 おまけでニカさんについて。円を描く線や包摂線の類と見ていまして、序盤のエアリアルの重量制御などを巡る会話から彼女が機体の謎を解き明かすのかな──細部から環境などの全体を描くような線の形=包摂線──と予想していたのですが、全然そのような展開にはなりませんでした。推しキャラだったのに残念です😢
 
 それでは。
 粗のありそうな内容で長くなりましたが、今回はこのぐらいで。
 ガンダム新作のジークアクスの劇場上映がそろそろに迫っていますが、新たな素晴らしいキャラクターとの出会いも楽しみにしつつ待ちたいと思います🙂