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【赤ちゃん天使は幸せを願う】とあるアーティストを紹介させて下さい22

彼女は1874年にアメリカで、書籍商の父と教師である母の間に生まれました。
母が教師として一家の稼ぎ手となり、父は家で子供達(彼女には兄妹が5人いました)、と遊ぶ事が多かったようです。

彼女は小さい頃から絵画や文筆に才能を発揮し、15歳で地元ネブラスカ州の出版物などにイラストを描くようになりました。彼女の原稿料は貧しかった家の家計の足しにされました。

1893年、父は彼女の才能を生かすために画家の道を進ませようとしニューヨークに連れてきました。彼女は預けられた修道院で生活しながら、出版社をまわり、挿絵やコミックストリップ(主に新聞に掲載されていた、イラストでストーリーを綴ったもの)の仕事を得ました。
ただ、当時は女性の社会進出が歓迎されてなかったため、性別を隠して活動しました。

1897年、雑誌の専属契約を皮切りに、彼女は精力的に仕事をこなしました。その間2度の結婚と離婚を経験しましたが1930年代まで、途切れる事なく仕事を続けました。

19世紀には、女性の社会進出が活発になり女性の芸術家協会も誕生しました。出版社はこぞって女性のイラストレーターを雇い、活躍の場を広げていきました。

1908年に、彼女はデビュー当時から描いていた「羽の生えた赤ん坊」を用いた、絵物語を描くよう編集者から提案されました。
「キューピーたちのクリスマス浮かれ騒ぎ」と題されたこの作品は、後に世界中で大人気となる「キューピー」というキャラクターのデビュー作となります。

当時としては珍しく、著作権と商標権を保持して、彼女は莫大なロイヤリティを得ましたが、散財が激しく、1937年、家族の住むミズーリ州に戻る頃には財産の大半を失っていました。

けれども、奉仕活動や寄付を行い、地域の芸術活動に貢献した事で、地元の名士と見なされるようになりました。

1944年4月6日、心不全により帰らぬ人となりました。
遺体は家族の個人墓地に母親や兄妹と並んで埋葬されました。

彼女の名はローズ・オニール。
世界的に有名なキャラクター、「キューピー」をこの世に生み出したアーティストです。

作者のローズ・オニール

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