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【ヴォーグモデルはカメラを持って戦場へ向かう】とあるアーティストを紹介させて下さい29

彼女は1907年4月23日にアメリカのニューヨーク州ポキプシーで生まれました。

18歳から19歳まで、彼女はアート系の学校で、照明、衣装、デザイン、ドローイング、絵画などを学びます。

19歳の時、マンハッタン通りを歩いていた彼女は雑誌編集者に声をかけられ、それをきっかけにファッションモデルとして活躍します。

1929年、シュールレアリズム(超現実主義と訳される芸術運動。アンドレ・ブルトン、サルバドール・ダリ、ルイス・ブニュエルなどが有名)に魅入られた彼女は当時、新進気鋭のシュールレアリストで写真家マン・レイの元に押しかけ、そのまま弟子となりました。
彼女は弟子という立場を超え、マン・レイと共に「ソラリゼーション」という写真技法(意図的に露光過多にし、モノクロ写真の白と黒が反転する現象)を発明し、またモデルとして自身のポートレートを作品として残しました。

1932年、マン・レイの元を去り、ニューヨークで写真スタジオを立ち上げ、写真家として活躍しますが、1934年に突如、スタジオを閉鎖しエジプトのカイロに向かい3年間生活しました。が、すぐに飽きてしまいました。

1937年、彼女はパリでイギリス人の画家ローランド・ペンローズと出会い、のちに結婚する事になります。

1939年、第二次世界大戦が勃発し、当時彼女が住んでいたロンドンが、ドイツ軍による空爆に晒されました。これを機に彼女は以前モデルとして活躍していたヴォーグ誌の公式戦場カメラマンとしての地位を得て、ロンドン空爆など、戦場の光景をフィルムに収めました。
1942年には米軍の従軍記者としてフランスのノルマンディー上陸作戦やドイツのユダヤ人強制収容所の光景を撮影しました。

戦後イギリスに戻った後、1970年代まで写真家として活動を続けますが、戦争による心的外傷後ストレス障害(PTSD)に悩まされます。

彼女は夫ペンローズと共に、東サセックスにファーリー・ファーム・ハウスを購入します。大きな倉庫の様なこの家には、ピカソやマン・レイ、ヘンリー・ムーアやマックス・エルンストなどが訪れ、芸術家達のサロンとなりました。

彼女は1977年にガンにより死去。70歳でした。
火葬された遺灰はファーリー・ファーム・ハウスの庭に埋葬されました。

彼女の名前は、リー・ミラー。
圧倒的なバイタリティで時代を駆け抜けたアーティストです。

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