living~自分を生きる~205【記憶の欠片】
最近よく
昔読んだ
ほんのフレーズをちらほら思い出すことがある
遠い記憶のなかから
ポンッと音を立てて出てきたような
フレーズ
ちなみに
今夜は
大河ドラマ「光る君へ」の
まひろこと
藤式部が庭先にやってきた鳥を観ながら
急に幼い頃の自分を思いだし
筆を取るシーンで
『今このときの今までだったと想う』
というフレーズ
中学生の頃によく読んだ
銀色夏生氏の詩集だった
人生に起こりうることは
死ぬまで通過点
足跡は
歩いた道の後にしかできない
生きる中で色々と経験してきて
「もぅ…よく生きた」と思うことが
正直、しばしば…
いつ死んでも後悔は無いと思っていたけど
「ちょっと待てよ」的に
楽しいことに決して溢れていない…
人生が皆、トントンで平等ならば
面白いこと
楽しいこと
遊ぶ様に生きないと
今までの元がとれない!!
人生で学んだことは沢山あるが
強いて一つ挙げるならば
"自分がしたいことが
進むべき道ではないかも知れない"ということ
私には志が3つあった
看護師として看護するにあたり
成人は心→肺であるに対し
ベビーは肺→心が特に重要なので
未熟児ちゃんの為に
呼吸療法認定士を志ざす
東京で呼吸療法認定士の講座を受け
受験勉強して
見事落ちた
未熟児センター(Nicu)で勤務し
未熟児看護にどっぷり浸かっていた私は
その後
新生児を看るプロになるために
新生児集中認定看護師を目指したいことを
上司に伝えると
「そこまでうちの病院では
週産期には力はいれないので
要らない」と不要宣言された
そして41歳時、
助産師学校に見事入学した
助産師になって週産期看護のプロを目指したい
そんな思いでがむしゃらに頑張った
助産師専門学校は想像以上に超ハード
普通に病む学生多し
そんな中で
持病でホルモン剤を多量投与していた
カラダとココロは悲鳴をあげた
国家試験の願書まで書いた
お産介助も残すところ後三例だった
助産師国家試験を受けるには
正常分娩10例の直接介助が必要
帝王切開の分娩介助がカウントされるならば問題なかったが
帝王切開は異常分娩に入るのでカウントされない
中退した
私の進む道は
ここではないと宣告された様だった…
確かに
私はお産がとりたい訳ではなかった
助産師として
未熟児ちゃんを観て
女性&子ども達をケアしたかった
あれから10年
想像もしていない方向に人生は動き始めている
振り返ると
全てが人生の最終点に向かっての点点点
これが繋がり始めている
来年の今ごろは
どんな景色を観ているのだろうか?
想像するだけで
面白い
目的・目標に管理された生き方から
おまかせの生き方に修正してみた
その方が面白いかも…
人生が皆平等で
死ぬ時には皆トントンを
只今、Labo中~
今日も楽しんで生きましょう♪
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