もうこんな感覚になれないんじゃないか
数ヶ月前に書いたものの、投稿し忘れていたので上げます。
もうこんな感覚になれないんじゃないかって思う瞬間がいくつかある。
最近ベッドの上で寝付けないと、そういう情景が頭に浮かんでしかたがない。
小学6年生の冬に、家の庭で近所の子たちといつものように全力で走って遊んでいるとき。
風を切って、木を突っ切って、鬼から全身で逃げ回って、何も考えずにみんなで大笑いしてて楽しくて仕方ないとき。
もう来年になったら部活が始まって忙しくなるから、多分1つ2つ3つ歳下のこの子達とこんなには遊んでいられなくなるんだ。
鬼ごっこを毎週毎週全力で楽しくやれる子供の時間ってもう終わっちゃうのかな。鬼ごっこなんて子供っぽいとか思うようになっちゃうのかな。
中学1年生、大好きだったペットのハムスターが死んでしまって大泣きした後。家族と一緒にホームセンターで柄杓を買ってきた。お墓にかけるのに残った水を青空に目一杯撒いて、水滴が光った光景が綺麗で目に染みる。水滴が上に上がっていって落ちるまでに止まる一瞬、青色の夏空をバックに輝く水滴と一緒に、時間が止まったように感じた。
土の中で眠るみたいになった子がまだ元気だった頃。赤毛のアンをテレビで見ていたのだが、アンはすみれを見て、私はこの美しさを100歳になったって忘れない、心の中で思い出すと言っていた。私にとってはこの瞬間、この感覚なんじゃないかと思った。
高校三年生、受験前の12月ごろ。ずっとずっと耐えてきたけど、ずっとずっと苦しい。心が確実にすり減っていて、全力を出したいのに出せないみたいな感覚になった。
帰り道は寒くて真っ暗な田圃道で、こんなに疲れていたって今日も坂は急だ。大丈夫だから、頑張ってるから、あと少しだからって思って家まで自転車を精いっぱい漕ぐ。
「私が一番勉強が楽しかったのっていつ?」
小学1年生の私が浮かんだ。真夏の算数、計算をどんどん進めていく感覚が爽快で、終わると明日もやるのが楽しみだった。
小学2年生の私が浮かんだ。お母さんもお父さんも寝た後で勉強してるのは今日が生まれて初めてだって日。誰からも強制されたわけじゃないのに純粋にその問題を解きたいからやっていた。
小学5年生の私も浮かんだ。理科の先生の授業が大好きで、理科の時間が来るのを楽しみにしていた。
小学生の私の方が勉強を心から楽しんでいた。小学生の私の感覚だったら、今の私がこんなに苦しんでいる大学受験前の冬くらいずんずん超えていくんだろうなと思った。いつからこんなに辛くなった? いつの間にか無くしかけていた勉強を楽しむ感覚に気づいた。
他にも色々あるけれど、もうこんな感覚になれないんじゃないかと思った瞬間は、忘れたくない。感動、喜び、驚き、悲しみ、怒りなのかの括りはよく分からないけれど、振り返ると「その時のその人に固有の、再現できない心の動き」というのが鍵なんじゃないかと思う。初めて見たり読んだりした映画や本でガンガン心が動くと、忘れたくない、心に刻もうって思うあの感じも。忘れたくない瞬間がある、って生きてる甲斐があると思う。これからもあるといいなあ。