10月3日
・認められたい、見つけられたい、そういった自己中心的な欲求から発せられたモノ。たとえばSNSの投稿、たとえば配信番組へと送るメール、たとえばエトセトラエトセトラ……。
これらのモノが、純粋さからくる真っ直ぐな感情の投擲に勝ることはないのかもしれない、と直感した。濃度、あるいは練度のようなものが違いすぎて、比べるまでもなく負けている。
・感情を表現することにも、感情的な欲求を満たそうとすることにも、勝ち負けなんてないはすだ。それでも、"比べて負けた"と思っている。人間としての器の小ささが見え透いているようだ。
・もしも本当に認められたいのなら、真っ直ぐな投擲をしなければならない。エゴをかなぐり捨てた、純粋な感情の投擲をしなければならない。
加えて技量も必要だ。しかしながらそれは、"誰かに認められるため"の技量であってはいけない。技量は、件の投擲の練度を愚直に高めるためだけのものでなければいけない。
・感情を鍛錬する、という意味で、非常にミニマムな職人になるというのが早い話なのかもしれない。
ひんやりとした空気の中、日がまだ若干昇り始めていない薄明るい時間に石造りの工房で鉄を鍛えるような、そういう書き方が要る。