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『コミュニケーション』


『コミュニケーション』イケナナ

 はじめましての方も、いつもお世話になっておりますの方も、皆さんこんにちは!福岡で作家を目指している20歳、福山翔生(ふくやまとき)です。かなりしばらくぶりのnote更新になります。
 今回は、先日美術展に行った際に出会ったイケナナ様作の『コミュニケーション』という作品に感銘を受けて、その場でご本人に直接「この作品で、物語をかいてもよろしいですか?」とお尋ねしたところ、快諾してくださり後日画像を送ってくださりました。
 イケナナ様の作品についてのお話はまた別の記事でしっかり書くことができればと思っています。
 大変恐縮ではありますが、イケナナ様の『コミュニケーション』という作品から私が広げた短編作品『コミュニケーション』。楽しんで読んでくださると幸いです!


今回もPDF版をご用意しておりますので、お好きな方でお楽しみください!


『コミュニケーション』 福山 翔生

 からん。
 道夫くんの置いたグラスの中の氷がズレて音を立てる。もう水なくなったんだと心の中で思う。私のグラスを見ると、私の方ももうほとんど水はなくなっていた。私は視線をちらりと道夫くんから離す。ニスが剥がれて年季が入った奥のカウンターに目を向けると、研修中の名札をつけた青年がきょろきょろと所在なさげにしているのが目に入った。私は彼の不安を表すかのように揺れる緑と黄の若葉マークに向かってすっと手を上げ、青年と目が合うと同時に「お冷を」と口を動かしながら、見えるようにグラスを掲げた。青年は弾むようにくるりと身体の向きを変え、水が滴るピッチャーを持つと早足でこちらに歩いてきた。
 青年がテーブルについたタイミングで私はもう一度、次ははっきりと音に乗せて、「お冷、お願いします」とグラスを差し出した。かしこまりましたとだけ言って、青年はグラスを手に取り、ピッチャーを傾ける。グラスの中に注がれていく水は氷をカラカラと鳴らし渦をつくる。私だけの小さな氷河を見ている気分になった。そうして私の氷河が出来上がると、青年は「自分も」とグラスを差し出す道夫くんからグラスを引き寄せ、淡々と氷河をつくっていった。
 私は、私と道夫くんの間にある2つの氷河を見つめて、ある空想をした。私の氷河には1匹のシロクマが住んでいる。みるみる不安定になっていく氷のプレートの上にしがみついて、じっとアザラシが来ないかと水面を見張っている。なんとかしなければこのまま海の底に沈んでしまう。しかし、それはそれとしても、何か食べ物を獲なければ結局飢え死んでしまう。
 シロクマはもう何日も何も食べていなかった。とっくの昔に我慢の限界は来ていたし、水面のきらめきが鰯の群れに見えてくるほどには頭も働いていなかった。眠りに落ちたらそのまま死んでしまいそうな気がして、睡眠もとっていないものだから、足場が勢いよくぐらつく度に、気付かぬ間に眠ってしまっていて、これは夢なんじゃないかと思ったし、そうであってくれと何度も何度も思った。今日が何曜日なのかももう分からなくなっていて、景色がぐるぐると回り続けている気がした。
 透明の分厚い何かのせいで歪んでしか見えないのだが、向こうにいるニンゲンの男が笑うと、こちら側のニンゲンの女が笑う。そして氷河がグラグラと揺れ、水面が少し下がる。それがずっと繰り返され、もう海が干上がってしまう! と思うと、文字通り「バケツをひっくり返したような」雨が空から降ってきて、もう一度海をつくる。時々雨と一緒に氷の陸地が降ってきて、胸をほっと撫でおろす。でも、どれだけ待ってもアザラシが降ってくることはなく、少し舌打ちをする。増えては減ってを繰り返しながら、氷河は相も変わらぬ景色を見せる。ずっと同じなのは退屈だった。もう少しぐっと踏み込んだ何かがあればいいのに。うーんと唸って、氷の上に全身を投げ出して空を見る。太陽がずっと沈まないまま、そこに浮かんでいた。
「詩野ちゃん?」
 私は道夫くんにそう声をかけられて、はっとして前を向いた。
「体調悪い? 大丈夫?」
そう声をかけてくる道夫くんの顔はアザラシみたいで優しい。私はグラスをコースターの上まで動かしながら答えた。
「ううん、ちょっとシロクマのこと考えてたの」
 そう言うと、道夫くんはきょとんとして、
「え? どこから?」
と聞いてきた。私は、グラスの中の氷河を見て、とは答えずに「なんとなくねー」と水を飲みながらテキトーに答えた。
 道夫くんはふーんとだけ言って、私をじっと見ていた目を逸らして水を一飲みした。テーブルに置いたグラスの中で氷河がカランと揺れる。もう飲んだんだ。そう思いながら、沈黙が氷河にたまっていくのを感じた。すると突然道夫くんは私のグラスと自分のグラスを手に取って隣に並べて、何かを見定めるかのように近づいたり離れたりして、2つのグラスを見た。きょとんとする私を気にもせずに2つのグラスを見る道夫くんの真剣な顔はシロクマみたいだった。
 2つの氷河が隣り合って揺れている。片方には水が無くなりそうでひやひやしているシロクマが映っていて、もう片方には全身を氷の上に投げ出して流れのままに佇むシロクマが映っていた。すると道夫くんは納得するようにあーっと言って少し堅い背もたれに寄りかかった。
「どうしたの?」
と私が尋ねる。道夫くんは口をもにゅもにゅと動かして少し嬉しそうに口を開いた。
「そのね、このコップ、同じに見えて実は違うのだったんだよ」
 私はそう言われて、2つのグラスを見る。どこにでもよくあるグラスが2つ。真ん中のあたりで段がついていて、ちょっとだけ持ちやすいグラス。
「ほんとに? 同じじゃないの?」
 そう疑うように尋ねる私の目を見てニヤッと笑うと
「底の方、真横から見てみ」
と、道夫くんはグラスの底を指さした。
 隣に並ぶ2つのグラスを横から見ると、確かに違った。道夫くんのグラスの方が底が分厚かったのだ。私のグラスに比べて、景色がぐにっと歪んでいるのは明らかだった。
「俺ずっと思ってたんだ。なんで詩野ちゃんの水はまだ残ってんのに、俺のだけ無くなっちゃってんだろって」
 確かに道夫くんの水は早すぎるくらいすぐに無くなっていた。
「いやぁ、コップのせいだったとはねぇ」
 そう言いながら、道夫くんはいたずらっぽく笑っていた。
「いや、そんな変わらないでしょ、1センチとかじゃ」
 私がそうツッコむのを聞いて、道夫くんはそっかそっかと嬉しそうにずっと笑っていた。その時私は、その笑顔をいつまでも見ていたいなと思った。道夫くんの肩の奥にある壁掛け時計が18時半を指す。私は道夫くんにすっと目を合わせて、
「もう18時半だよ、お腹すいたね」
と言った。道夫くんは手元のスマホに目を下ろし、
「えー! ほんとだ! まだ17時前くらいだと」
と驚いていた。そして、何か頼む? とメニュー表に手をかける。私はうーんと悩む。悩むフリをする。その様子を見ていた道夫くんは、
「なら、どっかご飯屋さん探す?」
ためらいがちに、だけどどこか嬉しそうにそう言った。
 私はうん! と頷いてバッグから鏡を取り出し、口元が汚れていないか確認した。道夫くんが伝票を取って先に立ち上がる。
 からん。
 私のグラスの中で一番大きな氷が崩れ、小さくなった氷が融け出していた。私はバッグに鏡をしまって、どこ行こうかねー、と語尾に音符を忍ばせながら立ち上がった。


 読んでいただき、ありがとうございました! 楽しんでいただけていたら幸いです。また次回作も頑張ってかきますので、よろしくお願い致します~

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