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ふでまめ R12「笑う忠犬」
ふでまめ ラウンド12「笑う忠犬」
犬っぽい人、猫っぽい人ってありますよね。顔立ちから伝わってくるものもあるし、その人の雰囲気からそう判断することもあります。ちょっとツンデレな感じとかは猫と称されることが多くて、元気いっぱいで人懐っこいと犬だねって感じになる。どっちかと言えば、みたいな時はあれど、結構な確率で犬っぽい人、猫っぽい人に二分できるんじゃないかと思います。別に犬猫に優劣はありません。どっちも可愛いの権化です。
ある時、自分は犬っぽいと人から言われたことがあって。それはなんかさっき言った雰囲気とかも少なからずあるんだとは思うんですが、どちらかと言うと「言われたことを喜んでそつなくこなす」忠犬的イメージから来るようなものに思われて、その時からふざけて「忠犬・トキ公」と名乗るようになりました。そうして時は経ち、色々な組織に所属しては引退してを繰り返し、感覚が麻痺した忠犬は「部品」になりました。大きな動きを駆動するための小さな部品。忠犬はそうやってしか生きられなくなったのです。
しかし、そんな忠犬もまとめ役を担うことは比較的多い方だったと自負しています。運動会の団長とか、生徒会とか、学級委員とか部長とか。だから、リーダーシップという言葉を比較的近くに感じながら生活してきましたし、それが何たるかも人並みに理解しているつもりです。その度によく思うのは、「リーダーシップ」は「身につく」ものなのか、「持っている」ものなのかということです。自分の意見を述べるならば、リーダーシップは「持っている」ものです。身につくものは技術であって、もちろんまとめるのが上手になるみたいなことはあっても、リーダーという器までは手に入らないのではないかと思います。自分の理想のリーダーは、カリスマ性のある人。そしてそのカリスマ性を本人が過信していないことだと思います。人を惹きつけて引っ張っていくだけの魅力があって、でもそのことを本人は意識していない。生まれながらにして人の上に立つ器というか、そういうリーダーがいてくれたらと思います。昔から好きな漫画『BLEACH』に登場する平子真子というキャラクターがこう言っていたことを今思い出しました。「上に立つ者は下の者の気持ちは汲んでも顔色は窺ったらあかん」。この言葉にはなるほどと思わされました。名言は解説されて理解するのもいいけれど、自分で考えて腑に落ちた時により深く心を揺さぶってくれると思うので、ここでは語らないでおきます。BLEACH好きな方、一緒に語り合いましょう。
じゃあ理想のリーダーにはまだ出会っていないのか。いえいえ、実は私は既に出会えています。うちの「キャプテン」こそ理想で、もし自分が本当に犬に生まれていたらこの人の忠犬になるし、ここが戦国の世であれば、この人の家臣として命を懸けられる自信があります。まぁ端的に言えば、大好きなんです。「キャプテン」っていうのは自分が勝手に呼んでいるだけで、好きな漫画に出てくるキャプテンというあだ名のキャラクターに雰囲気が似ているし、そのキャラクターと同じくらい信頼できるという理由で付けました。そんな「キャプテン」には雰囲気を変える力があると思います。でもそこに乱暴さはなくて、限りなく丁寧に空間を和やかなものに作り替えていく。大切な友人である以上に、自分にとってはついていきたい「キャプテン」なんです。また一緒に仕事ができれば嬉しいです。
そうして「キャプテン」に拾われた部品は忠犬の志を今一度胸に宿し、遠く離れた地から精一杯の声で吠えながら帰りを待つのでした。