ふでまめ R19「Losers’ Cruiser」
ふでまめ ラウンド19「Losers’ Cruiser」
イルミネーションは別に1人で見たって綺麗です。感動するし、心は癒されます。なんなら自分は結構好きな方で、昨年の冬にビザを取るために大阪まで弾丸で行った時も、御堂筋の綺麗なイルミネーション通りを脳裏に深く刻もうと、夜行バスの時間が迫る中ゆっくりゆっくり歩いていました。イルミネーションはカップルの専売特許じゃないってことです。でもかじかんだ指を暖めるのがポケットではなくて、誰かの指になるのだとしたらそれは大層幸せなことで、どうしようもなく胸を締め付けられるようなことだなぁと思います。先日バイト帰りに少し歩いて警固公園のイルミネーションを見ていた時、ちょうど自分の目の前で1組の男女がお互いの肘あたりに手を添えて、おでこをひっつけ合っていました。そして2人は照れるようにおでこをくっつけたままマフラーに顔をうずめ、そしてそのまま肘から滑るように背中の方に手を回し、ぎゅっと強く抱きしめ合ってお互いの肩に顔を預けて佇んでいました。流石に目立ったので半径5m以内にいた全ての人が見ていた気がします。自分の近くにいたやりらふぃーの方々も「やば見てや」と言ってちらちらじろじろ見ていました。そんな冷やかしのような目線が多い中、自分は何故か微笑んでいました。多分ですけど大沢たかお演じる王騎将軍みたいな顔してたと思います。
よく「リア充なんて爆散してしまえ」なんて言う人がいますが、リア充が爆発する必要はなくって、1人だと肌寒いだろうから暖を取るために君が爆発するといい、ほぉら暖かくなっただろう?って思います。自分だって彼らの文脈で言う「非リア」なので、夜の公園でかたく抱き合う男女を見れば、まぁそりゃうわぁいいなぁうらやましいなぁぁとは思います。でももし仮にさっきまでハグしていた人間が目の前でボンっと爆発して、煙が上がって肉片が飛び散ったとして、「...ふむ、良し」とその場を意気揚々と去っていけるわけがないんですよね。自分は以前、焼身自殺を試みた人間を目の前で目撃しました。まぁ詳細の描写等は省きますが、経験として言えるのは人間の焦げる匂いは決して心地よいものではないってことです。リア充も非リアも爆発しないに越したことないです。
そもそもなんで爆発なんですかね。梶井基次郎の『檸檬』の最後で描かれたように、一瞬にして最大限の破壊を生じさせうるものの象徴として、爆発が想像しやすいということなのかもしれません。あとは優しさなんかもあるんだと思います。自分からすると、爆発は確かにスカッとするかもしれないけれど現実味が乏しいように感じます。本当に憎い相手なら、もっと現実にありえそうなこと、例えば車に轢かれるとかイルミネーション倒れてくればいいのにとかそっち方向のことを言ってもよさそうな気がします。でも、「リア充、車に轢かれろ」なんていう人いないじゃないですか。それはある種の優しさの表れ、もしくは違う世界の住人という精神的な距離感が現実を押し付けることを拒絶しているのかもしれません。自分には到底関われるものではないと。
はぁ。最近こんなことしか考えていない。季節のせいと言えば季節のせいだけど、そんな言い訳せずにはっきりと言いましょう。寂しいんです。そもそもおしゃべりだからいつだって話し相手は欲しいし、ツッコミ師だから1人きりじゃ面白くはできないし、律儀に毎日「ただいま」と言っているのだから、肌寒い部屋から「おかえり」が帰ってきて欲しい。最近知人から事故物件の話を聞いて、実際住むのとなると辛さもあるのだろうけど、幽霊でもいいから話し相手になってくれたり、「ただいま」と返してくれたら何よりだなと思いました。あ、自分霊感無いんでした。人間ではなく幽霊さえも自分と共にはいられないのですね......! こりゃ今夜は袖と枕濡らしますわぁ。