とまらない、寺西拓人という男。好きになるしかない。
メロい。寺西拓人という名前を検索すると、そこここで見かける彼をあらわす言葉。みなさん、うまいこというねえ、ほんと。メロいのメロは「メロドラマ」とかからきているんだよね? ちがう? メロドラマとは、『新明解国語辞典』(第八版)によれば「愛し合いながらなかなか結ばれない男女などの姿を感傷的に描いた通俗ドラマ」。通俗ドラマ笑。ちなみに『チャレンジ小学国語辞典』(カラー版)にもちゃんと「メロドラマ」はのっていて、「感傷的な恋愛をテーマにした劇や映画」とある。小学生が「メロドラマ」を調べる姿にもだえる笑。とりあえずキーワードは「感傷的」。
いや、辞書通りの語源からの言葉じゃないことは一応承知しているつもり。でも何らかのニュアンスとして、「メロドラマ」のメロも含まれているんじゃないかなあ。とりあえずまさに感傷的な部分に刺さる。ぐらぐらする。そういう男だと思うからね、寺西拓人氏は。あの顔であの声で何か言ったりされたりしたら、たまらんわ。
それを確信したのは、彼のインスタライブを見たとき。なんせ瞬発力だけはあるので、前田大輔氏の「寺さん、かっこいいっすね」から、寺西拓人検索までの道のりは速攻で、その勢いですぐに「初インスタライブ」までは到達した(インスタフォローも。恐ろしいことに、私がフォローしてからも数日で数万単位でフォロワーが増えていた。すごいね)。見ながら思ったね、「これ、あかんやつ……」って。「初」だったこともあったのか、彼のインスタライブは段取りも仕切りもなく、ただただまったりと彼の顔と声を堪能する時間だった。その間私はニヤニヤと顔を緩ませ、「あかん……これ、あかん……」と脳内で警報がなっている状態だった。もうね、「ピアスみたい? 見せてあげる」とかいって、画面に近寄ってこられた日にはスマホ投げそうになったもんね。例えば音を消して顔だけ見てても最後まで見ていられる。画面見ずにイヤホンで声聞いていても最後まで聞いていられる(ひっきりなしにしゃべるタイプではなく、画面をただ眺めている時間も長いので、その間はごく薄い息遣いが感じられるかどうかであっても)。それくらい顔も声もいいから。
それで動いたり歌ったり、しゃべったらもっといいんだぜ? 最強じゃないか。本当に、こういう逸材が、長らく「知っている人だけが知っている」存在でいたんだなあ。
「知っている人だけが知っている」は、まさに某歌劇団はそういうものなので、だからこそ今、私のような超にわかが訳知り顔に寺西拓人氏への思いを垂れ流すのは、「知っている人」にとっては、なんだかなあという思いもあるんじゃないかと思う。
私自身は某歌劇団に対しては布教したい思いの方がはるかに強いので、見たいという人にはサポートするし、魅力を伝えたいと思うし、それで好きになってくれたらめっちゃうれしくなるタイプ。だけど、そうはいっても、どこかから得た、歌劇団の生徒(某歌劇団は劇団員を生徒と呼ぶ)に対する半端な情報(と私が思ってしまうもの)を「〇〇なんだよね」みたいに言われると「いやいやいやいや、そんなSNSとかの言葉を信じないで」と思ったりすることはあるので、この後いろいろ垂れ流す言葉がそういう、見る目が備わっていた皆さんの不愉快につながらないことを願いつつ……。垂れ流します(断言)。
私が寺西拓人さんから目が離せないのは、その「メロい」というたたずまいとか存在そのものももちろんあるけれど、やはり単純に「この人の舞台を見たい」「パフォーマンスを見たい」という芸を楽しむ方への欲求が強い。年末年始の間、過去に出演したミュージカルのコメントだったり、舞台の切れ端映像だったりを見ればみるほど、「この人、旧ジャニーズという枠の人じゃないな」ということを感じる。多分、一般の劇団というか、舞台だけを志していた人としてのスキルだけで十分に勝負できる人だ。だからこそ、事務所がらみではないミュージカルでも、3番手クラス前後のポジションで途切れなく出演できているのだろうと思う。そういう意味では、もしかしてタイムレスのオーディションとしては残念な結果となったとしても、仕事は安定してくるだろうし、芸もさらに磨かれていくだろうと思うし、それをこちらも追っかけて見に行けばいいのだ(その気は満々)。
しかし、最初に寺西拓人氏に出会ったのが「タイプロ」である私としては、そしてこれまた切れ端でみる「ジュニア時代のダンサーとしての寺西拓人」映像を見ればみるほど、やはりアイドルとしてキラキラする彼もぜひ見たいと思う。
某歌劇団の話ばかりして恐縮だけど、「一つの性別の人々が、まだ学生年齢のうちから一つの会社に属して、そこで切磋琢磨してパフォーマンスする集団」という意味でスタート社と某歌劇団は、あり方に共通項が多いと思っている。だからこそ、この事務所の中でグループとしてデビューできるかどうかということに対し、頑張ればとか、顔がよければ、実力があればという条件だけで表舞台のど真ん中に出られるものではないこともわかる気がする。
もちろん、突出したスター性があれば某歌劇団でもこの事務所でもごぼう抜きで出てくるのは知っている。大昔の話だけど、数年ばかりSMAPを追っかけていたので、この事務所におけるスターシステムのありようを実際に見ていたということもある。スマさんに関しては、コンサートツアーを追いかける程度には好きだけど、「〇〇担」という言葉には「いやいや、それほど深くは愛していないかも」という面映ゆさはあって、でも森君の脱退は号泣したし当時5人になったスマさんの過去映像でことごとく森君をなかったこととしてカットする事務所には心底腹立たしかったし……くらいの思い入れもあった。
(余談だけど、今もあるかは知らぬが当時あまたあった「POTATO」とかのアイドル雑誌でジュニアの紹介ページがあってね? 追っかけ仲間が「この子、絶対出てくる!」といったのが、当時12歳の滝沢秀明氏だった。実際、あっという間に駆け抜けていったんだよね、彼は……私自身はジュニアでは小原裕貴くんが好きで、基本ほぼスマさんのコンサートしかいかないのに、彼のラストステージになったジュニアコンは見に行きましたね。泣きながら)
なので、「ほんのりスタート社、結構がっつり某歌劇団」目線でみて、寺西拓人氏のたたずまいをみていると、表舞台にはもちろん出ているけれど、アイドルとしてのど真ん中にいなかったというのはなるほどなあ、ガツガツが求められる時期にこの俯瞰力は却って枷になっていたのかもなあと思ったりもする。
でも、時は満ちた。彼はまさに「満を持して」、このオーディションに挑んでいるのだろうし、合格してグループの一員として舞台に上がる彼をぜひとも見たいと思う。
ただねえ……タイプロって怖い番組ですよね……。見れば見るほど、「箱推し」になってくるんだよねえ……。寺西拓人氏を別格とすれば、ほかのメンバーもそれぞれにいいよねえ、本当に。
というわけで、寺西拓人氏への思いを垂れ流しつつ、タイプロの思いも垂れ流します。