やっぱり彼はスター。タイプロエピソード15。

そこにスターがいた。

木村拓哉。1995年、それまで旧ジャニーズアイドルに一ミリも興味がなかった私を一気に沼に落とした存在。

友人が貸してくれた「その時、ハートは盗まれた」(1992年放映)のビデオを気軽に見ていて、気が付いたら文字通りハートが盗まれてしまっていた(ベタ)。その後SMAPというグループのファンになっていったけれど、それでもずっと彼は好きだった。

相当な熱量で追いかけていたのは7,8年とどこかに書いた気がするけれど、今、ちょっと振り返ってみると、ツアーには10年以上参加していたみたいだ(忘れている)。グループ箱推しになっても、彼のことはやっぱり好きだった。私がツアーに参加していた後半は木村拓哉がグループの代名詞、みたいな時代はとっくに過ぎていて、メンバー内人気図も確実に変化していた。拓ちゃんのいつだって「俺、木村」なところが、世間的には軽い揶揄のネタになっていた部分もあったと思う。それでも、コンサートのソロ曲でピアノの上に乗って歌っちゃうような彼を、「俺、木村」を体現している姿を、微苦笑を誘われつつも好きだった。

とはいえ、ツアーにいかなくなってからは完全にお茶の間ファン、いや実はつい最近まで10年ほど地上波テレビを全く見なかったので(アンテナの関係で映らなかったのよ……笑)、お茶の間ファンとすらいえなかったかもしれない。あんな形で解散になった時は泣いたけれど、それも感傷という部分が大きかった。

それくらい木村拓哉という人は、心理的に遠い存在になっていた、はず。それなのに。タイプロという番組に現れた彼を見て改めて思った。

彼は、スターだ。今なお、目を奪われてしまうほどに。

私にとっての「元彼」。

木村拓哉という人はほんっとーに変わらなく「俺、木村」な人だ。ずっとそれを貫いてきて、今の彼がある。

私の中に昔のようなたぎるような感情はない。けれど、なんていうか、姿を見るだけでいい思い出ばかりが浮かんで、今の姿を見てもほわほわ心があたたかくなる。もう、ほんとに変わらないんだから、と笑みが浮かんでしまう。

あー、そうかー。書いていて思った。私にとって妄想の「元彼」は拓ちゃんなんだなあ。

今、熱を持って好きと思うのは寺西氏なんだけど、それは間違いないんだけど! でも、妄想であっても「元彼」ではなく「生き別れの息子」(頑張って「憧れの先輩」)な感覚になってしまうのは、年齢がそうさせている部分が大きいとはいえ、それだけじゃないんだなあと今頃気づく。恐るべし「元彼」の威力。
もうね、単純に思ったわ。

かっけーー!!!


尊敬する先輩という存在があるということ。

エピソード15の木村拓哉登場ストーリーを見ていて思った。

timeleszメンバーがしびれ、寺西氏&原氏がビビる、「大先輩」という存在がいるということ。いくつになっても、仕事としてはベテランになっていても初心を思い出させる存在、無条件に尊敬の念を抱かせる存在が身近にいるのは「ありがてぇ」ことだなあと。

自分ごとですけど、私にもそういう「先輩」がいる。新卒で入った小さな小さな会社(総勢4人!)のボス(女性)。私の社会人人生の唯一の自慢がこの人の下で学んだということで。私自身はいまだに不出来な、足りていないことばかりの人間だけど、それでも何とか、ゼイゼイ荒い息をしながら社会人やっていられるのは、ボスにメタくそに叱られまくった日々があって、さらに「自分の落とし前は自分でつける」ことを言葉ではなく態度で教えてもらったということが支えになっているから。

翻って。タイプロ候補生のうちの何人かは、木村拓哉という人の後輩になる。それは彼らにとって、とても大きな財産になると思う。寺西氏、原氏ならばその存在に以前より心が近づくんじゃないかな。

もちろん拓ちゃんだけでなく、堂本の光一君や大倉君や、衣装を貸してくれた「Ⅴ6兄さん」「JUMP兄さん」、山下君、タイプロに直接関わった人だけでもこれだけの頼れる先輩がいる。そんな会社のメンバーになるって「ありがてぇ」よ、ほんと。組織が抱える問題はまだまだ山積していようとも、「人」は何にも代えがたい大きな財産だから。

なんてことをつらつら思ってみてしまった。前半かなりポエムになっていたことお許しいただきたい。オバハンにポエムやらせるって、やっぱ、元彼はちがうな!笑

その他の感想は後日!


キッチン常備、寿司飯を冷ますのに大活躍しているうちわ(こら!)。右が2008年、おそらく最後に参加したツアーのもの(裏に書いてあるツアー名を久々に確認)