生きているということは

先日、お隣のご主人が亡くなった。

夫婦二人で暮らしていて、何度かご飯をご馳走になりお酒までいただいたことが度々あった。

一緒にお酒を飲んだ際、僕が隣に引っ越して来たことが嬉しいと言っていた。子どもは娘二人しかおらず、息子が出来た様だ!

とも言ってくれた。

最近身体の調子が悪いとのことは聞いていたし、実際に具合が悪い状態も見ていた。

まだしばらくは会えるだろう。生きてくれているだろうと思っていた。

いつでも遊びに来てとも言われていたのに、最近は僕から会いに行くことは無かった。

突然の訃報を聞くと驚きを隠せない。

亡くなる前に声を掛けて欲しかったのだが

「岡崎さん、いつも家に居なくて忙しそうだったからあんまり声掛けづらくて。二人で心配していたんだよ」

自身の身体のことよりも、僕のことを気に留めていてくれたらしい。

今更だが図々しく御自宅にお邪魔して様子を見に行けば良かったと思った。

元気な声で。満面の笑みで。

心配を掛けない様に。



ここからは僕個人の話。

僕は今日死のうが、明日死のうが別に構わないと思っている。

肉体的な死というものに恐怖心があまりない。

僕が死んで困るのは、ウチで飼ってる猫二匹くらいだ。

今の現状に悲観してる訳でもない。

生きるのは辛いがそれなりに幸せを感じている。



「上を向いて歩こう」を作詞した永六輔さんが残した言葉がある。

人間は2度死ぬ。

1度目は肉体の死。

2度目は誰かの思い出の中で生きている私を思ってくれる人が、一人もいなくなった時

個人的には二度目の死の方が何となく嫌だ

最後に永六輔さん作詞の曲

「生きているということは」

生きているということは

誰かに借りをつくること

生きていくということは

その借りを返してゆくこと

誰かに借りたら誰かに返そう

誰かにそうして貰ったように

誰かにそうしてあげよう

生きていくということは

誰かと手をつなぐこと

つないだ手のぬくもりを

忘れないでいること

めぐり逢い愛しあいやがて別れの日

その時に悔まないように

今日を明日を生きよう

人は一人では生きてゆけない

誰も一人では歩いてゆけない

生きているということは

誰かに借りをつくること

生きていくということは

その借りを返してゆくこと

誰かに借りたら誰かに返そう

誰かにそうして貰ったように

誰かにそうしてあげよう

誰かにそうしてあげよう

誰かにそうしてあげよう


故人に何か御恩を返すことは出来ないが、他の誰かに借りた恩を返すことは出来る

故人や誰かの想いや優しさも一緒に乗せて他の誰かに返して生きていく。

そんな生き方をしていきたい。

https://youtu.be/Gt8posdmTaM?si=h3BNjgf0iFNyaKUE


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