インサイド・ヘッドを観て
図書の時間に借りてきた本
ある日、息子が学校の図書の時間に「インサイド・ヘッド」の本を借りてきた。うちの息子はほとんど表紙と挿絵しか見ないのだが、一度気に入るとしばらくその本を手放そうとしない。これは、だいたい本かアニメで起こることなのだが、こうなると、作品を息子に見せてやりたいと思うのが親心。暗い映画館が苦手な息子のために、家で「インサイド・ヘッド」と「インサイド・ヘッド2」を観ることになった。
まず、邦題では「インサイド・ヘッド」となっているが、原題は「Inside Out」なのだ。この原題からして「頭の中のことをさらけ出す」という意味でこの映画を如実に表現しているといえるだろう。
この映画は、まさにその「頭の中のことをさらけ出す」部分、つまり、人間の複雑な感情や記憶のしくみを、見事なまでにわかりやすく、そしてエンターテインメントとして昇華した点がすばらしい。
私は「この作品は心理学だ!」と思ったので、調べてみたところ、すでに心理学の観点からさまざまな考察記事が書かれていた。そして両作共にダッチャー・ケルトナー博士が心理学の監修をおこなっている。
感情の擬人化
まず、巧妙に脳中を擬人化していたのは驚きだった。この映画では、ヨロコビ、カナシミ、イカリ、ムカムカ、ビビリという5つのキャラクターが登場する。
これは、心理学者のポール・エクマンが提唱した「基本感情」の理論をベースにしていると考えられる。エクマンは、顔の表情から読み取れる普遍的な感情として、
喜び
悲しみ
怒り
驚き(この映画では登場していない)
恐怖
嫌悪
を挙げている。
映画では、これらの感情がライリーという少女の脳内で司令部を作って、彼女の行動や意思決定に影響を与える様子が描かれている。それぞれの感情のキャラクターは、独自の性格と役割を持っていて、ライリーが直面する様々な出来事に対して、それぞれの視点から反応していく。
例えば、ヨロコビはライリーを常にポジティブな状態に保とうとがんばるのだが、カナシミはその状態をかき回すかのようにふるまう。カナシミは一見ネガティブな存在に思えるのだが、物語が進むにつれ、このカナシミの行動が意外に重要なことがわかってくる。悲しむことで、人は共感を得たり、問題解決に向けて深く考えたりするからだ。感情にはそれぞれ重要な役割があり、どれか一つが欠けても健全な心のバランスは保てないということを示している。
記憶と忘却のプロセス
さらに、映画では記憶と忘却のプロセスも巧みに描かれている。「思い出ボール」として視覚化された記憶は、長期記憶の保管庫へと送られ、そこで整理・保管される。そして、重要度の低い記憶は「忘却のゴミ捨て場」へと送られ、徐々に消えていく。
この描写は、記憶研究の成果を表したものと言える。例えば、短期記憶から長期記憶への移行には、海馬と呼ばれる脳の部位が重要な役割を果たしていることが知られている。また、時間が経つにつれて記憶が薄れていく「忘却曲線」の概念も、映画の中の「忘却のゴミ捨て場」の描写と重なる部分がある。
「性格の島」と人格形成
特に注目したいのは、「性格の島」の存在だ。これは、ライリーの人格形成に大きな影響を与える重要な思い出であり、それらを基に「性格の島」が形成される。この「性格の島」は、ライリーをライリーたらしめる、家族、友情、趣味など、彼女のアイデンティティを構成する重要な要素を表している。
これは、臨床心理学における「スキーマ」の基本概念に近い。
スキーマとは、過去の経験に基づいて形成された、自己や世界に対する認識の枠組みのことである。幼少期の重要な経験は、その後の人格形成に大きな影響を与えることが知られているので、この映画はそうした点を視覚的にわかりやすく表現している。
「インサイド・ヘッド2」の思春期の心の変化
「インサイド・ヘッド2」では、思春期を迎えたライリーの心の変化が描かれている。新たな感情キャラクターとして、シンパイ、イイナー、ハズカシ、アンニュイが登場し、ライリーの心の中はさらに複雑になっていく。
思春期は、自己意識の高まりや、他者との比較、将来への不安など、様々な感情が芽生える時期である。新たな感情キャラクターたちは、まさにこの時期特有の心の揺れ動きを象徴していると言えるだろう。
さいごに
「インサイド・ヘッド」と「インサイド・ヘッド2」は、エンターテインメント作品でありながら、人間の心の仕組みについて深く考えさせてくれる、非常に優れた作品だった。子どもは単純に作品を楽しみ、大人は作品を俯瞰的な視点で見て、感情の成り立ちを興味深く理解できる作品なのではないかと思う。ぜひ一度観ていただくことをオススメする。