見出し画像

東京の空

高校3年生の進路指導での担任の話を思い出しています。

高校の3年間は家庭の環境などの影響で苦しんで不登校だったのですが、試験の日だけは学校に行き、登校日数半分しかなかったのになんとか卒業できました。

毎日登校して留年してしまった運動部のクラスメイトから、なんで卒業できたの?うちの母校の七不思議になって語り継がれるのでは?と不思議がっていました。

卒業間近の進路指導で先生が私に、サラリーマン絶対向いてないけど、帰国子女枠で海外の美術の大学に受けてみたら?
君だったらいけるよ!とのこと。

大真面目な母がそんなずるいことして入学してはいけない!と声を荒げて猛反対。

そんな性格の母のせいで不登校になっていたことに、当時の母はまだ気がついてなかった。

日本だったら東京藝大だけど、受験は君の頭脳だったらとてもイージーだし、実は大したことはなくて授業、退屈かも。
世間で言われているほど大したことはないんだよ!受験してみたら?

プレッシャーを減らすために言ってくれているのかな?
と疑いました。

子供の頃は分厚い美術年鑑なんかを読んで遊んでいるタイプでした。
有名な作家、どのページを開いても金太郎飴のように東京藝大。

小学校の高学年の頃、姉の音楽友達でピアノの上手い女の子が、将来、東京藝大の音楽学部にいけたらな〜って憧れていました。
凄いところなんだろうな〜って思っていました。

藝大受験をしなかった理由は、本当かどうかわからない噂を早々とキャッチしていたから…。

藝大の飲み会では先輩に裸踊りさせられるよ。っていう、今でも中の人ではない私は本当のことかわからない話ですが…。

幼かった私は、うわーっ、絶対やめとこって思っていました。

人前で裸なんか晒せないし…。

作品はすごいのにね〜なんて思っていました。

家庭環境の影響で体調を崩していたこともあり、受験もせずプラプラ〜と過ごしていました。

図書館で新聞社各社の記事を読み比べて、ははーん世の中こうなっているのか!とか、好きな本を読んだり、音楽を聴いたり…、かなり遠回りして生きています。

二十代後半で、リハビリ兼ねて、近所にあった美術予備校の門を叩きました。

田舎だったけど、常磐線沿線の大きな駅には必ず美術予備校があり、取手に藝大の校舎があることもあり、職にあぶれた優秀な博士課程まで出ている素晴らしい作家さんがたくさんいて、とても恵まれていました。

デッサンはとてもイージーであっという間に藝大志望の子より上達してしまって…、みんななんでこんなデッサンに苦戦しているのかわからなかった…。

素直で夢に溢れ、純粋な受験生達に、わざわざ悩めっ悩めって教えてしまっている先生も…。

今でも石膏デッサンにのめり込まなくて本当に良かったと思っています。

そんな感じだったので開校したばかりの予備校の生徒さんが一旦いなくなっていた時期も…。

予備校のオーナーは、これから藝大出身の素晴らしい講師を何人か雇うのでしばらく待機していてとのことでした。

茨城県は五浦に岡倉天心の素晴らしい美術館もあり、藝大信仰のようなものがあり親御さんも安心して、生徒さんがたくさん入ってきました。

そこで入ってきた今でも尊敬している院展の先生に、井村くんは自由に描けて本当に羨ましい!
私は5年と6年もかけて藝大に受かったのに、授業があんな感じで…。
受験はやめて、この調子で続けるようにって。
藝大志望の受験生より上手くなっているので、デッサン問題ないし合格するぐらいの実力はあるよ!って。
結局、絵描きはどの進路を選んでも同じぐらい苦労するものだよっとも…。

本当におだてられた伸びるタイプの子でした!

あの言葉を今でも信じてこれまでやってこれました。

その後、富山県に来てから、武蔵美に行ってみようと思い、金沢の入学説明会に。

先生達にできたばかりの教科書を一生懸命説明してもらい興味深々になっていました。

すると一緒にいた父が先生に対して、薄っぺらい教科書だな〜って鼻で笑ったせいで、説明していた先生が激怒してしまって父と口論に…。

アメリカの大学で分厚い教科書をたくさんみていた父は先生とディスカッションしたかっただけなのかも…。

それをみていた私は、あーっ、教授を怒らせてしまって、武蔵美に入学しても居場所はないかも…。

素晴らしい教科書ですってフォローしても手遅れ感がいっぱいの雰囲気でした。

心の中で嘆いていたら、

偶然居合わせて、その口論を冷静にみていた日本画の藝大出身の教授が、口論を止めてくれて。
帰ろうとした私に、ぜひ入学してくださいね、お待ちしています。って優しく言ってくれた。

そして入学を決めました。今でも尊敬している教授です。

藝大の日本画の先生で一線で活躍していて、尚且つ、私の展示にまで足を運んでくれる先生や、武蔵美の藝大出身の先生たちの言葉はこぞって、本当に失敗を楽しんでください!とか、絵で失敗しても命まで取られないからのびのび描いてよっとか。
藝大の学生たちがどれほど権威に怯えて描いているんだと想像しました。

そんな言葉を助言してくださる先生たちは、若い作家さんや講師の方から、すごく尊敬されていることに気がつきました。

今の藝大の学長さん、日比野克彦さんに、すごく期待しています。
学生さんたちのプレッシャーを少しは取り除いてくれるのでは?

蚊帳の外から見た意見です!

私のアーティスト人生は今でも苦戦していることは変わりませんが…。






いいなと思ったら応援しよう!