「恋愛」したいのか「安定」したいのか
私は今恋人が欲しい。
でもわたしは「恋愛がしたい」のではなく、「安定したい」から恋人が欲しいのだ。
いわゆる「蛙化現象」発症者の私は、今までまともな恋愛ができたことがない。
学生の頃はドラマや映画の影響で「ザ・青春」というような恋愛に憧れを抱いたりもした。でも正直理想が膨らみすぎて、何が普通の恋愛なのかわからないなんていう拗らせをしていた。
「告白するならこういう展開で!」と思っていたものと違うものが来ると、「なんか違うな〜」と一気に冷めてしまう。
すごく好きな人だったのに、完璧であってほしいという思いが強すぎて何かちょっとでも自分の理想と外れると気持ちがスッと消えてなくなる。(最低)
大学の頃はちょっと大人な恋愛も覚えたが、これはこれで大変だった。だって大人になるっていうことはその後の展開も予想がつく。それを意識しすぎて気軽に付き合うなんてことができない。
付き合って初めてのデートなんて日には展開が見え見えすぎて、気持ちが億劫になってしまっていた。それでそういう展開がくるのを先延ばしにしたくてデートを断ったり。(最低)
そして拗らせを加速化させてた私は、「○フレ」の方が気分的に楽というようなところまでついに来てしまった。
それでも、いつ何時でも「恋人」という存在は欲しいと思っている。
自分は恋愛不適合者だと分かりながらも、フリーになるとすぐに次の恋人探しをしてしまう。
これは多分「恋愛」よりも、社会的な「安定」のために恋人探しをしているのではないかと思う。
ひとりでも生きていけるこの時代でも、やはりパートナーがいる・いないは重視される。そこで「いない・必要ない」という境地まで私は達せていない。
だから「安定」=「恋人がいること」という方程式から抜け出せずにいる。
これは精神的な成長をしないと永遠に縛られ続ける呪縛のようなものだ。
だからこそ「自分磨き」をする必要がある。
少なくとも私は。