たまにはそのまま受け止めるのも良いよね。舞台 エウリディケの話なんだけど。
どうもどうも、妖怪です。
今さらではありますが「舞台 エウリディケ」のろくろ回しをします。
私事ではありますが、どうも今回の演目は上手くピントが合わないようで、解像度がかなり粗いです。
いつも以上に終始ぼんやりとしていますが、どうぞよしなに。
これは公式Xくん。
本編をチラ見できる動画や各々のコメント、「教えて!エウリディケ」という解説動画etcを豊富に取り揃えている栄養価が高めなアカウント。
今回のろくろは、この「教えて!エウリディケ」を標にして回していこうかなと思います。
(正直、観劇前に見ておけばよかったと思うほど充実した約30分だった…何も情報を入れずに観たかったから、結果的に観劇後の視聴になって良かったとは思うが…)
【以下ろくろ回し】
本当に「この目で見届けて良いのだろうか」と思ってしまうほど綺麗な物語だった…
そして何より、非常に個人的な感覚へダイレクトに刺さる要素が多くて、涙腺がゆるっゆるになってしまった…
内容としては、サラ・ルール氏によって現代風にアレンジされたギリシャ神話。
音楽家で詩人のオルフェ、オルフェの妻エウリディケの切なくも美しいラブストーリー。
その根底に描かれる父と娘の愛…というもの。
一度は板の上で拝みたいと思っていた和田さんと栗原さんの共演。
そして崎山さんの役名に惹かれた勢いでチケットを取ったものの、
いかんせん妖怪はギリシャ神話ほぼ未履修個体。
楽しめるかどうかは半ば賭けのようなものだったんですが、
全然余裕で!!!!楽しめました!!!!!
設定や物語の運びがわかりやすいのもあったと思うんですが、想像力を掻き立てるような演出だとか、どこか懐かしい雰囲気のせいか、
個人的には思考のろくろを回すより、感情をダイレクトに揺さぶられるという感覚の方が大きかった。
感情もそうだけど、なんだろう…あれは郷愁に近いのかもしれない。
人生の根幹に声楽とオペラがあるので、音楽への惜しみないこだわりが伝わるあの空間とか、
奏者と役者の相互作用で物語が進行していく心地良い感じが、そんな感覚を呼び起こしたんだと思う。
観劇して劇場を出て、帰りの電車に乗った辺りで、ただ漠然と「ずっとあの空間に浸っていたかった」とぽろぽろ泣いてしまったのも、そういった刺激をたくさん受けてしまったからなんだろうなと、今なら思い至ることができますね…
全体の所感としてはこんな感じ。
もはや「ここまで連ねたものが全て」と言っても過言ではないほど、この演目から受け取れたものが少ないんですが、もう少しだけ頑張って考えを巡らせようと思います。
教えて!冒頭で崎山さんが仰っていた「誰を中心にするかで解釈が変わる(意訳)」というの、演劇全てにおいてそれはそうであるよね〜とはなるんですが、
エウリディケに関してはそれがより顕著だったなと天を仰ぐなどしています。
私はどちらかというと、己のマインドと思考の起点となる部分が死に近いタイプなので、
危険でおもしろい男/地下の国の王と死という概念に焦点を絞って物語を見ていたけど、
人によっては真逆の可能性もあるんだろうな〜。
ということで、ここからは解釈のろくろを回していきますね。
あの物語を先述通りの視点から見ていた私は、
「危険でおもしろい男」と「地下の国の王」はイコールで繋がっていて、その象徴というか、あの2人の概念が死そのものであると解釈しました。
根拠となるものは特にないんですが、強いて言うなら直感と、
アフタートークで若干の崎山さんから語られかけたものの、栗山さんから「良いとこ突くじゃん!?(意訳)」と待ったをかけられた内容が、そういうニュアンスだったな〜という記憶だけ。
時の流れだとか、人間の本能や運命、それこそ死であったりだとか、この世には何を持ってしても抗えないものがある。
あの世界の価値観において理想とされる男の魅力を全て持ち得る危険でおもしろい男というのは、
我々がいる現世における「それ」に近いものなのではないか、と思うんですね。
あの男に魅入られてしまった以上、死に引きずり込まれることは確定していて、
きっとそれはこれまで何度も繰り返している。
教えて!で語られていた諸説の中に、「オルフェと危険でおもしろい男は兄弟である」というのがあったけど、私は危険でおもしろい男というのは、
もっと複雑な状態でそこに居るんじゃないかとも思えるんです。
人間の根底にあるもの。
本能的に忌避したい事象そのものが、あの男なのではないかって。
まぁ、あの性格であったり言動だったりも原因にあると思うけど、限りある命を持って生まれた以上、避けることのできない死。
輪廻転生が存在するなら恐らく誰もが体験しているそれが、死後の世界である地下の国で、一度素体に戻されたエウリディケとオルフェの魂の底にもこびりついていて、
それがあの男への嫌悪感であったり、どうしても避けたいと思う心理の深層にあるものなのではないかと。
ただひとつ気になるのが、あの手押しポンプの演出。
エウリディケや他の登場人物(人物?)らが使用したり、様子を見守る時は水が流れるのに、危険でおもしろい男が触れようとすると水が止まる。
これはストレートに受け止めれば良い描写のひとつなのかもしれないけど、
縁あって前方列で崎山さんの芝居を見た時に「なぁ!!!絶対なんかあるだろう!!!!それ!!!!!なぁ!!!!!」となってしまった以上、何かしらの意図があるのではないかと勘ぐり続けてしまうんですよね……
水に触れているのがエウリディケのみ(でしたっけ)だから、あれは死への呼び水的な機能を果たしているんじゃないかとか、
手紙を送る・送られるの時にしか出なかったから、手紙がないのに水を汲もうとするのは強欲さの表れ→それに合わせて、何もかも奪おうとする危険でおもしろい男が現れるというギミックのひとつなんじゃないかとか…
兎にも角にも、死後の世界で「川に身を浸すと全てを忘れることができる」という言及がされているからには、水や手押しポンプがこの作品にとって重要な役割を担っていること。
そして、この危険でおもしろい男の存在自体に結びつきそうなものであることは確かなんだけど、
そこまで頭が回るわけでもなく、現状完全に持て余してしまっている…
迷走に迷走を極めましたが、この「舞台 エウリディケ」に関しては、本当に悔しいの一言に尽きるなぁと思います。
ここを繋げることさえできれば、この物語の真の面白さを感じ取れるはずなんですよ…
面白さというか、深さというかなんというか…
もうひとつ先の感情の動きを得られるというか…
生で観劇することができて良かったとか、音楽が素晴らしかったとか、父と娘の愛にまつわる描写に胸を打たれたとか、
基本的にプラスな感情がメインで働いていたけど、やはりこの悔しさだけは、一ヶ月と少しが経った今でも、どうしても拭えない。
これはメイン垢でも話したことなんですが、やはり感想を綴ろうとすると、波長の合う・合わないが露骨に表れますね。
確かに感動したことだったり、観劇中考えたことはあるんだけど、全てを受け取ったあと深く考えられない・またはすんなり飲み込めてしまった作品が結構ある。
今回のエウリディケもそのひとつで、「もっと深い見方をしたかったな」と思うことはあるんですが、
きっとどうしても理解できない部分はあるし、そういった部分は、板の上から受け取ったままの無垢な記憶として留めておくのもアリなんじゃないかなと思います。
それは「この表情が良かった」とかでも良いし、独特な比喩を用いたセリフのことだったりでも良いし、本当になんでも良いんだと思う。
という風に、たまには解釈のろくろを回し続けるんじゃなくて、見たものをありのままに受け止めるのも良いな、と思える作品であったこともまた事実ですね。
円盤がないことが本当に惜しまれる様々なことを考えられる作品だった。
でもまあ、円盤がなくとも、メロディはいつも我々の頭の中にあるのでね。
それさえ不変であれば、またいつでもあの世界に帰れる気がするし、それを思うと殺伐とした日々を心穏やかに過ごせる気がする。
ひとまずはこの辺で一区切りして、また この「舞台 エウリディケ」という作品について、
何か書き連ねたいことが湧いてくる日が訪れるのをのんびり待ってみようかと思います。
以上!解散!