雀聖の慢心病

最近段位戦の調子が悪いので気分転換がてら書きました(約3,600文字)。

自己認識とプライド


「自分はこの中で一番上手い」

雀魂で聖3、正確に言うと雀聖になった頃から、自分の中にそんな気持ちがくすぶっています。

雀魂において、四麻雀聖の段位戦は少し特殊です。
Yostarの致命的な、そして今なお修正される気配のないガバガバなポイント配分に引きずられ、多くの昇天を目指す雀聖は、雀豪の頃と同じく玉の間で打ち続けざるをえなくなっています。

配分など知ったことかと日々王座に殴り込みをかける一部の雀聖の方々は本当に尊敬しますが、やはり一般的には、玉の間で昇天を目指すのが王道ルートとなってしまっています。

このポイント配分は完全にYostarのやらかしであり怠慢です。
今後も不平不満の手を緩めることはありません。

ただそれはそれとして、雀聖になってなお玉の間で打ち続けていると、ふと上記のような気持ちが芽生えてきます。
「自分は同卓者より上手いんだ」、と。

実際のところ、その自己認識自体はそこまで外したものではないと思います。
もちろん一口に雀豪だの雀聖だのと言っても、個々人レベルで見ればそんな枠に当てはまらない人は多々います。
麻雀プロや天鳳高段者、あるいは魂天2周目…そんな圧倒的格上達が神速で駆け上がっている最中ということもあるでしょう。
そういった例外は別として、やはりほとんどのマッチング相手は雀豪なりたて、ないし雀豪で留まっている方々です。
その中で変に自分を卑下しても仕方ありません。

自己認識というのは、過大評価でも過小評価でも良くないものです。
曲がりなりにも雀聖、聖3まで上がれている以上、玉の間の大半のマッチング相手よりは「強い」。
これはおそらく事実であり、そこは自信を持っていい部分だとも思います。

「多少強い」だけでは登り切れない聖3坂

さて、自己認識通り自分が大半の同卓者より「強い」としても、じゃあすぐに昇天できるのかといったら、そうは問屋が卸しません。

下の玉の間のポイント配分の画像を見てください。
仮に4半荘で1位から4位を1回ずつ取ったとして、豪1の時点でゼロサム、豪2以降はマイナスサムとなるのが段位戦です(素点については一旦割愛します)。

画像はhttps://mahjongsoul.info/how_to_enjoy1/#index_id5 より拝借
見れば見るほど王座は旨みがなさすぎますね

これが聖3ともなると、トップを2回(125pt × 2 = 250pt)取ったとしても、一度のラス(-255pt)でトータルでは微マイナスとなってしまいます。

そして昇天というのは、この配分下で(最低でも)4500ptを盛る作業、ということになります。
そこを目指す以上、聖3維持程度では到底足りません。

みんな大好き牌譜屋(https://amae-koromo.sapk.ch/)さんには、「安定段位」という項目があります。
ここは特に変動が激しい項目なのでせめて300半荘は打たないと信用に値しないのですが、ここが安定聖3〜4くらいだと、聖3維持はできても、昇天はなかなかに厳しいものがあります。
もちろんトータルプラスでさえあればいつかは登り切れますが、場合によっては数千半荘かかってしまいます。

直近300〜500半荘で、最低でも聖6、できれば聖8以上。
昇天を目指すならそれくらいの成績を叩き出す気概が必要です。

具体的には、「トップ率 + 2位率 × 0.5 > ラス率 × 2.5」くらいでしょうか。
100戦打ったら 30-28-25-17 (+970pt)あたり?
これくらいで聖8とかそこら辺になると思います。
それを数百半荘続ける必要があります。


このように、聖3坂を登り切るには周りより「多少強い」程度では登れないか、時間がかかりすぎるのです。
「多少」どころではなく、「圧倒的に」強くないといけないのです。

またこれは余談ですが、玉の間でそれくらい突き抜けてないと、仮に上振れて昇天したとしても、今度は王座の間で勝ち越せず堕天の恐怖が待っているのではないかと思われます(王座の経験はほとんどないのでこれはただの推測です)。

登坂を邪魔する慢心病

前置きが長くなりました。
ここからが本題です。

先述したように、雀聖、それも聖3ともなると自分の中にそれなりにプライドが生まれてきます。
それと同時に、語るに恥ずかしい話ですが、一種の「慢心」が発生している面も否めません。

「自分は同卓者より上手い」という "正当な" 自己認識から生まれる、「だから負けるはずがない」という "鬱屈とした" 驕り、油断。
そしてそこから紡ぎ出される、"雑な" 打牌内容。

シンプルな打牌ミスに始まり、一向聴二向聴からリーチへの雑プッシュ、安手愚形テンパイからの雑プッシュ、副露ケアの消失……etc.。
あるいはリーチに全ツされて和了られたとき、同格以上であれば「やられた」と思うのに、格下相手だと「なんだこの全ツァーは」とイラついてしまう、などなど。

この記事ではそれらをまとめて「慢心病」と呼称します。
要する「クソみたいな驕りと油断」です。

フランメ好き

私含めおよそ雀聖にまでなれている麻雀打ちは、自分なりの「システム」を持っています。
「ピンフドラ1は即リー」とか、あの辺をもっと細分化したものです。

そして同時に、結局魂天には "なれていない" 以上、そのシステムは精度としても練度としても、正直粗いものになります。

なので雀聖に求められることは、システムそのものの精度を上げつつ、目の前の対局を真摯に打つことです。
前者は技術の話で、後者は姿勢やメンタルの話です。
そして慢心病は、特に後者を蔑ろにします。
相手を格下と認識した結果、目の前の対局に真剣になれなくなっていくのです。

これの厄介なところは、雑に打っても「そこそこ勝てる」点です。
現在の玉の間では謎ダマや二向聴三向聴からの放銃が横行しているので、よっぽど変なことをしなければ、雀聖であればそれなりの勝率は維持できます。
(逆に負けたときは「なんでそんな謎ダマする奴に」なんて考えてしまったりして、それがまた病状を悪化させるのですが)

そもそも麻雀には上振れ下振れがあるので、現時点の正確な実力を測るのは難しいことです。
雑に打とうが勝つときは勝つし、真剣に打とうが負けるときは負けます。
そしてその波の繰り返しの中で、次第に自分が雑に打っていることにすら気づけなくなります。

勝てば実力。負けたら下振れ。
そんな認識が知らず知らずの内に、徐々に出来上がっていきます。
これも慢心病の怖いところです。

しかし、その雑な打ち方で残せるのはせいぜいが「それなりの成績」です。
なぜなら所詮は雀聖程度ですから、玉の間で雑に打っても圧倒的に勝てるほど、まだシステムが洗練されてないのです。

私の持論としては、勝負ごとは勝った方が正義だと考えています。
舐めプだろうとなんだろうと勝てば許され、負ける側は負け方さえ選べない、それが勝負です。

勝ち負けに一家言あるドフラさん


これがもし現役麻雀プロなら、ながら打ちだろうと二面打ちだろうと、楽々勝ち越せるかもしれません。
実際にそういう人がいるかは別として、その在り方を否定するつもりもありません。
ですが自分含め大抵の雀聖はあくまで「玉の間における上位層」に過ぎず、まだその域にまでは到達していないのが現状です。


そしてこちらも先述した通り、玉の間で昇天するには「圧倒的な」成績が必要です。
「それなりの」成績ではダメなのです。
数多の雀豪・雀聖相手に、勝って勝って勝ち続け、ラスを避けて避けて避け続けなければいけません。
だからこそ、雀聖は打数以上に内容にこだわらないといけないのです。
悲しいことに、多少の打数でカバーできるほどにはまだ強くないのです。

自分を過大評価しても、過小評価してもいけません。
「大半の同卓者より格上」と認識するのは適正の範疇かもしれません。
一方、「雑に打っても圧倒的に勝てる」と認識するのは明確に過大評価です。

地に足をつけて、一歩ずつ着実に進んでいくしかないのです。

おわりに

お察しの通り、このnoteは今まさに慢心病に罹患している私自身に向けたものです。
なので記事のほとんどは自分に対する叱咤、自戒でもあります。
これまで何度も何度も、慢心しては、しばらく負けてからようやく気づき、改善するもまたしばらくすると同じ病気にかかり…ということを繰り返しています。
未だ完治に至らず再発を繰り返しているのはほとほと情けない限りですが、自分のペースでぼちぼちやっていけたらと思います。

それとこの広い世の中、もしかしたらもう一人くらいは同じ病気にかかってる人がいてもおかしくないので、その人にも届いて、何かしらの刺激になれば幸いです。
昇天目指して一緒に頑張りましょう。

おわり。
誤字脱字等あればコメントかTwitter(現X)で教えていただけると助かります。



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