横内勝司「時を超えて」ただいま京都で開催中!
こんにちは。
ただいま京都写真美術館で開催中の写真展で21日まで京都に滞在しています。
横内勝司写真展「時を超えて」
この写真との出逢いから初開催までの経緯を書いてます。前回の続きです。
こうして大量のガラス乾板のデータ化作業が始まった。ライトボックスと三脚で複写セットを組み、乾板の汚れを拭きとりながら次から次へと撮影。
ほぼ朝までの作業が何日続いたろうか、肩と首はパンパンに張り、目は充血して口の中が痛い。こめかみ辺りから目の周りが脈を打ちホントに死ぬかと思った😅
そんな無茶をして急いだのには訳があるんだけど、ここではNG!
機会があればお話ししますね🤗
その後、乾板を複写したデータをソフトで反転し、レタッチと傷の補修作業を経てプリントデータに。同時に写真展会場を探した。
戦前の天才写真家が当時の松本の町と人々の日常を捉えた貴重な写真なので、先ずは松本市美術館に相談に行った。
応対してくれた学芸員の方に、戦前から80年の時を超えて来た奇跡のガラス乾板のこと、そして発見からこれまでの経緯を話し2Lサイズの写真を見せたが…
私は写真には詳しくないのですが…と専門外を強調しながらも「いい写真ですねー」と、あまりにも当たり前の反応。
えっ、それだけ?
「横内勝司さんって、どんな経歴をお持ちの方なんですか?」
経歴って…
だから百姓で、戦前に33歳で亡くなってるから経歴も何もないし、だから知られざる天才写真家だって言ってるのに〜😮💨
「実績は?」
実績って?なんの実績?
「たとえば受賞歴とか…」
そんなやり取りが続いた。コダック社が主催した世界写真競技大会での1位の他にもそれを実績というなら、あるにはあったが…
そんな昔の訳のわからない実績よりも、目の前の写真に何も感じないの?80年の時を超えていま目の前にあること、それが写真じゃないの?
対応してくれた学芸員さんのあまりの素っ気なさに驚いたが、価値観のベクトルが違うんだと、それ以上言うのをやめた。
前に土門拳の写真展を手がけた写真に明るい学芸員と館長にも伝えますってことで、その日は写真と資料を置いて帰ったが、数日経っても土門拳からの連絡はなかった。
その写真展を手がけたのなら、それよりずっと前の戦前、しかも地元松本にこれほどの写真を残した人がいたことに興味はないのかなぁ〜?
期待し過ぎたけど、考えてみれば当たり前の話で、そもそも学芸員は美術史を学び専門知識に関する資格を持っているだけで、特に優れた感性やそれを見抜く目を持っているわけではない。
よく言えば、豊富な専門知識を有する専門家。悪く言えば、その時々の権威づけられた価値観を擦り込まれた固定観念の持主とも言える。
ボクが感じた驚き!を期待する方がおかしい。やっぱりボクは感情に引っ張られ暴走気味かな😅
そこで、親しくしていただいてる「ギャラリー風雅」の井口氏にお願いして写真展を開催させていただくことになった。急ではあったが、ここは横内さんと引き合わせてくれたギャラリーでもあり二つ返事の快諾だった。本当に感謝です❗️
急遽決まった5日間の開催の目的は美術館の館長と土門拳の学芸員に見てもらうためだった。
ボクの思い込みによる暴走を避ける意味で、展示作品の選択とレタッチを友人の高野さんと東京でコマーシャルフォトで活躍し松本に移住してきた故橋坂紀夫氏にもお願いして3人で行った。
先日話した方と土門拳と館長の3人で観に来てくれたが…「うーん、いい写真だね〜」
予想どおり反応は変わらなかった😅
美術館の反応は残念ながら予想どおりだったが、急遽開催したにも関わらずこの写真展でボクは大きな収穫を得た。
来場者の多くはそれまで写真とは縁のなかった方々だけど、何度も見にきてくれて友人にも伝えてくれた。たいした告知活動もせずひっそり始まった個展だったがクチコミによる来場者は日毎に増えた。
祐一郎さんも先頭に立ってお父さんと写真の話をしてくれて嬉しそう。
「オヤジの写真は長い間ず〜っとアンタが現れるのを待ってたんだな」と一言。
本当に嬉しい!最高の言葉でした。
この写真展で多くのことを学びました。
2005年にこの乾板が発見された後さらに9年間も放置された訳も、若い人がアニメ以外の美術館に興味を示さないことも、写真雑誌が次々に廃刊になっていくのも…なんとなく分かる気がする。
写真業界の人たち、美術業界の人たち、
写真って、美術ってなによ?
いったいどっち向いてるの?
写真展は写真マニアに向けて発信するものじゃない!
その後のボクの写真展開催を方向づける転機となる開催でした。
今、京都で横内さんの写真に囲まれ10年前のことを思い出しながら書いてます。明日からも在廊は続きます。
読んでいただきありがとうございます。
会場でお会いしましょう!
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