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知られざる天才写真家 〜奇跡〜
こんにちは。
7/9〜7/21 京都写真美術館で開催させていただく写真展の準備で、頭の中はすっかりモノクロ。今日はこの乾板群が発見されるまでの偶然と幸運について書きます。
90年も前に亡くなった人が撮影した写真が時を超えて現代に甦り、今なお人と人とを繋いでゆく…
〜時を超えて〜
それはまさに本質とも言える写真の力であり、いくつもの偶然と幸運が重なった奇跡です。
この奇跡の乾板群は2005年の横内家の改装時に勝司さんの孫の横内照治さんが天井を破って二階の屋根裏から見つけました。
写真は以前からありました。当時写真は貴重なもので、撮影者の勝司さんが密着焼きした写真を大切にアルバムに整理していました。ところが原盤への意識は今ほどなかったようでガラス乾板は無造作に木箱に入れられて屋根裏部屋に放置されてた。
養蚕が盛んだった当時、横内家でも家中で蚕を飼っており、夜になると桑の葉を食べる音が雨音のように家中に響いたという。
とてもデリケートな蚕のために屋根裏部屋までしっかりと温度管理がされていたため寒暖差による結露もなく乾板にとっても良好な保存環境が保たれたようです。
そして世界恐慌が起こり養蚕がダメになると屋根裏部屋は塞がれ、戦後はずっと「開かずの間」に。
勝司さんの死後、乾板群は70年もの間そこで眠り続けることになります。
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農家である横内家は本棟づくりと呼ばれる大屋根と囲炉裏のある古民家です。風通しがよく、もともと松本地方の夏は涼しく湿気が少ない気候に加え囲炉裏の煙で柱も天井も煤で真っ黒。屋根裏部屋にあった乾板も発見時は煤で真っ黒だったそうです。それらが防湿、防虫効果となり70年後の綺麗な状態での発見に繋がります。
大切に保管されてたわけではなく放置されてた!それが第一の幸運でした。
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この写真群が撮影された昭和初期、カメラはとても高価なもので、まだ一般には普及しておらず、ほんの一部のお金持ちだけのものでした。そしてその多くは都市に住む先進的な人たちで、その視線はありきたりな日常よりも急速に近代化を遂げてゆく新しい時代に向けられたようです。
そしてその多くは空襲による火災で焼失した。そのため戦前の写真は少なく、まして地方都市の日常を伝える写真はほとんどない。
空襲を受けなかった松本
それも幸運の一つです。
いくつもの偶然と幸運が重なり時を超えてきた奇跡。中でも横内勝司という稀代の才能が裕福な農家に生まれ、そこにカメラが渡ったこと。
これこそが写真の神様が仕組んだとしか思えない最大の奇跡なのです。
読んでいただきありがとうございます。
続きは次回に。