深いトラウマから、人付き合いを避けて生きてきた人間の末路。
私は、元々はこんなにネガティブな気質ではなく、明るくおしゃべりな性格だった。
幼稚園の頃は、仲間はずれの時もあったが明るく積極的に人と関わってきた。
小学の低学年の頃、担任の先生とそりがあわず、頭ごなしに人格否定されてきた。
中学年の頃は、担任の先生から睨まれ同級生から嫌われたりボコられた。
誰も味方はいなく、友達だと思っていた人から利用もされてきた。
私が子供の頃の当時は、発達障害と言う概念が無く徹底的に矯正させられた。
習い事では、コミュニケーションのズレからいつも私だけ余ってしまって気まずい思いをしてきた。
先天的に脳の作りが異なる事もあり、共感できない、他人と心を通わすこともできない。
それゆえ、私は、人と関わるのが怖くなっていき、劣等感もつのり自分の世界に閉じこもるようになった。
高校に入ったら、それが強くなり悪口も言われたりはみ出しものになった。
大学では、上辺だけの人付き合いだった。
そして、まともにコミニュケーションがとれないのとポンコツなのとで、社会に出たらどの職場もお荷物で客からクレームも来た。
こうして、私は人間社会を拒絶し益々自分の世界に閉じこもるようになった。
その私の部分を訝しがり干渉してくる者もいて、うっとおしくなった。
そして、友好的な対人関係の実践が乏しくなってしまった。
そして、いざ人と仲良くなっていくと、嬉しくなり、
一方的なコミュニケーションになり、他人を思いやることは出来てない。
私は、誰にも与えられるものはないという、ことになりがちだ。
私は、友達だと言われると、仲良くなっていくと嬉しくなり一方的なコミュニケーションになってしまうのだと思う。
例えば、
「最近の調子はどうですか?」「最近の近況はどうですか?」
「大丈夫ですか?」「疲れてないですか?」
などと言う労う言葉をかけてあげるべきだったのだ。
「垢教えてください。」と、尋ねてみたり、または、「私の新しい垢は、こんななんですけど…」と、向こうが調べやすいようなユーザーネームに変えてあげるべきだったのだ。
だが、私の脳にはそういうのがすっぽり抜けており劣等感と自分が優先になってしまっていたのだ。
人生の長きに渡って、特定の人ごく1人としか仲良くしてこなかったから、色んな人間の立場に立って考え心に寄り添う事が出来てないのだ。
また、劣等感から電話の誘いも拒否していた。
私は、劣等感とネガティブな感情が強いのと人との関わりの実践経験が乏しいのとで、人との感情の共有が難しいのだ。
このままだと、誰からも好かれなく必要とされないことだろう。。
寂しい気持ちも強くあるし、変わりたいとは思わなくはないが、どうしたらいいのか分からなく苦しんでいる。
色んな人と、楽しく話していたり頼られたり必要されている人を見てると羨ましく感じる。
誰とも話さないと脳が萎縮しそうで、これから先が怖いし、
コミュニケーションが駄目だと、人間関係の信頼を得る事が出来ないだけではなく、出来る仕事や任される仕事が限られてくる。
世の中、コミュニケーション至上主義だ。
感じよく、円滑に社交的に振る舞わなくてはならない。
私は、一生、日陰のままだろう。
だが、私は、何事においても自信が無い。
心の根に染み付いたトラウマは、永遠に消えない。