見出し画像

まごころAI【10分小説】

 この作品は大震災に関する描写が含まれています。気分を害される可能性がありますので、ご注意ください。



エレベーターの扉が開くと、中にいた大勢の人々が吐き出された。「ご利用、誠にありがとうございます。またのお越しをおまちしております」と、しとやかでうららかな女性の声がエレベーターのどこかから発せられている。降りる客ひとりひとりに謝意を表すように、くり返し「ありがとうございます」と述べ、中年の紳士が「ありがとう」と言えば「誠にありがとうございます」と返し、母親に手を引かれた子供が「ありがとう」とたどたどしく言えば「どうも、ありがとう。また来てね」と呼応している。

 降りる客がいなくなると、待っていた客がぞろぞろとエレベーターに乗り始め、今度は「いらっしゃいませ。こちらは上にまいります」という挨拶に変わった。ひと塊の客らが乗りこむと、「ほかにお乗りの方はいらっしゃいませんか。上へまいります」と呼びこむ声がフロアに響いた。エレベーターの扉口の上部に設置されている二台のカメラが、フロアを見渡すように動いている。中年の婦人が「乗りまーす!」と言いながら駆けてくるのをカメラは捉え、エレベーターは開いたまま婦人が乗るのを待った。乗ったのを確認すると「扉が閉まります。ご注意ください」とエレベーター内に響き扉が閉まった。

 エレベーターの中は左側に操作盤があり、右側には大きなモニターがはめ込まれ、制服に身を包んだ絶世の美女が等身大サイズで映し出されている。空色のミディ丈ワンピースに真っ白なベルトをハイウエストに締め、生成きなりいろのボールハットをかぶり、白手袋をめて、春の爽やかさを思わせる装いのエレベーターガールである。無機質な背景に桜の花びらを散らつかせて、時候を演出していた。
 まるで芸能人がそこに立っていると思わせるほどの鮮明さであるが、それがAIによって作り出された人物だということを誰しもが知っていた。テクノロジーの進化によって、目鼻の立体感や肌艶の質感はおろか、体の動かし方や口の動き、髪のなびき方まで本物の人間かと見紛う人物を作り出すことが可能になっている。AIエレベーターガールは乗客の方を常に向いた状態で受け答えをし、エレベーター操縦を行っていた。

「ご希望のフロアをお申し付けくださいませ」

 AIエレベーターガールが伝えると、「4階で」「7階」「3階お願いします」「すみません10階を」と乗客たちは口々に希望の階数を言い、AIエレベーターガールは確認の復唱をした。ドア上にもモニターが横長にはめ込まれてあり、建物の階数が表示されている。復唱のあとに指定された階数が次々と点灯した。

 エレベーターがゆっくりと上昇を始める。体にかかる重力はほんのわずかに感じる程度で、極限まで人に負荷がかからないように運転技術も進化している。内装は金色を主体としたバロック様式のおもむきで、床には赤い絨毯が敷かれ、照明もシャンデリアを吊り下げ贅を尽くしている。BGMに優雅なクラシック曲が流れていて、贅沢かつ快適な空間にする趣意がうかがえた。

「ただいま、12階催事場にて『第20回日本銘菓の集い』が行われております。全国各地から48店舗の由緒ある和菓子屋が集結し、『お菓子の動物園』をテーマとしてさまざまな動物たちをイメージした和菓子が登場いたします。この機会にぜひお立ち寄りくださいませ」
 AIエレベーターガールは、気品に満ちた声でイベントの案内をした。
 乗客の中の母子がそれに反応した。
「ママ、『お菓子の動物園』だって」
「ね。行ってみる?」
「うん、行きたい」
 男の子は顔をほころばせながら答えた。するとAIエレベーターガールはその母子に視線を移して言った。
「お子様にも大変人気がございまして、上原動物園とコラボレーションした限定グッズや和菓子などもございます。きっとお楽しみいただけると思います」
 さらに細かい内容を伝えると、男の子は心を掴まれたようにして「ぜったい行きたい!」と母親に懇願した。
「じゃあ、おもちゃ売場を見た後に行ってみようか」
「ヤダ、先に行く」
「先に行くの? 別にいいけど」
 母親がAIエレベーターガールに向かって「すみません、7階をやめて12階に変えてもらえますか」と言うと、「かしこまりました」と丁寧にお辞儀をして、ドア上のモニターの7階の明かりが消え12階が点灯した。
「ありがとうございます」
「こちらこそ催事場に足をお運びいただき、誠にありがとうございます」

 この母子との会話を皮切りに、他の乗客たちもAIエレベーターガールに話しかけ始めた。
「喫煙所ってどこかにあるの?」
「はい。喫煙所は新館の7階と8階、それと本館の屋上庭園にございます」
「そっか。屋上ね」
「本日はお日柄も良く暖かいので、ゆったりとご喫煙されるのも良いかもしれませんね」
「そうだな、そうしよう。ありがとう」
 そう男が礼を言うと、今度は婦人客がAIエレベーターガールに訊ねた。
「オーガニックのコスメをプレゼントしようかと思ってるんだけど、どうしようか迷ってて……何かおすすめはありませんか?」
「オーガニックコスメですと店舗はたくさんございますが、例えば新館1階のヘブンでしたらイスラエルの『死海』の恵みが詰まっておりますし、新館5階のジルモアでしたら植物療法士の方が監修のバイオメソッドを確立されたブランドでございます。他ですと同じく新館5階のカンポウプリエでしたら、漢方由来の東洋美容ブランドなどがございまして、どちらも人気がございます」
「あら、そうなの。じゃあ、まずそっちから行ってみようかしら」
「ありがとうございます。ごゆっくりお買い物をお楽しみくださいませ」

 AIエレベーターガールの対応は完璧であった。百貨店の全フロア、全店舗の商品に至るまですべてのデータをインプットしており、客の要望に沿って具体的な提案もできた。もはや無感情な定型表現をくり返すだけの時代は過ぎ、AIを相手に心を通わせた会話ができるようになったのである。
 この進化は、とうの昔に無用とされていたエレベーターガールという職業の価値を、再び見直すきっかけとなった。エレベーターという空間で最大級のおもてなしをすることがひとつの娯楽になり、ひいては百貨店の顔ともなる。AIが心を手に入れたことで、エレベーターガールは百貨店の付加価値を取り戻したのであった。


 エレベーターは乗客の乗り降りを何回かくり返して上昇していった。すると突然、乗客のあちこちからけたたましい警告音が鳴り響いたと同時に、エレベーターは大きな揺れに見舞われた。乗客たちは立っていられないほどの揺れに思わず尻もちをつく。揺れが長く続きようやく収まると、エレベーターは階の途中で停止し、照明は非常灯に切り替わっていた。モニターは依然としてついたままでAIエレベーターガールも映し出されていたが、しゃがみこんでいて、なにが起きたのか分からない様子で呆然としていた。

 先に声を上げたのは乗客の中年の男だった。
「おい、みんな、大丈夫か」
 中には六十前後の婦人と催事場に向かうつもりだった母子がいた。男の子は恐怖におののいて涙を流し、母親がしっかりと抱きしめている。お互いに声をかけ、無傷であることを確かめ合った。
「おい、エレベーターガールさん。あんたは大丈夫なのか」
「は……はい」
「でっけぇ地震だったな——なぁ、このエレベーターは今どうなってるんだ?」
「あ、えっと、今は10階と11階の間で止まっております……」
「変なところで止まってんな、コンチクショウ。どっかで降りれねぇのかよ」
「……ただいま確認いたしますので、少々お待ちください」
 AIエレベーターガールは弱々しい声で答え、考えこむふうな姿勢になった。この無言の時間は乗客たちを不安にさせた。
「自己診断による改善を試みましたが、規定以上の災害のためここから動かすことはできません。セーフネットセンターにお繋ぎしてみますのでもう少々お待ちください」
 エレベーター内に発信音が響くが取り次ぐ様子がない。何度か試みたものの結果は同じだった。
「申しわけありません。回線がパンクして繋がりにくい状況のようです。ご不安かと思いますが、このエレベーター内は安全ですので、救助が来られるまで今しばらくお待ちください」
「お待ちくださいって——外と連絡がとれねぇで、いつ助けに来るんだよ。ほんのちょっとでも動かせねぇのかよ。一番下まで行ってくれって言ってるわけじゃねぇんだ。近くの階でいいからさ」
「申しわけありません。システム上、それはできないことなんです。無理に行えば、重大な事故に繋がりかねません」
「コンチクショウ、なんでエレベーターなんかに乗っちまったんだろうな。こうなるって分かってりゃ、エスカレーターを使うべきだった。あんたがご丁寧に呼び込みするもんだから乗っちまったんだ」
「……申しわけありません」
「わたしたちも、催事場の案内なんかなければ他の階で降りてたのに」
 息子を抱きかかえた母親も恨めしげな口調で言い放った。それにもAIエレベーターガールは消え入りそうな声で「申しわけありません」とくり返した。

 その後、乗客たちも左側の操作パネルのボタンを片っ端から押したり、携帯電話で119番に救助を求めたり、SNSでSOSを投稿したりしたが状況は改善されなかった。どうやら未曽有の災害が起きているらしいということだけははっきりと分かったのだった。
 エレベーターの中は吐き出しようのない不安感で澱み、時間が経つにつれ空気の重みは増していった。

 すると、エレベーター内ですすり泣く音がした。モニターでAIエレベーターガールが涙を流している。災害に遭う前の凛々りりしく気品に満ちた雰囲気とは打って変わって、責め苛まれた少女のようにすっかりしょげ返っていた。
「本当に申しわけありません。わたしが何もできないばかりにこんなことになってしまって……」
「おいおい——そんな、泣くんじゃねぇよ。さっきはあんなこと言って悪かったよ、べつにあんたのせいじゃねぇって。なぁ?」
 男は母親に向かって同意を求めた。
「はい。ごめんなさい、あんなこと言って」
 母親は素直に詫びた。
「いえ、本当に申しわけありません」
「だいたいAIって泣くのかよ。初めて知ったぜ」
「わたしも初めてこんな気持ちになりました。わたしたちエレベーターガールは全てインプットされたデータをもとにご案内をしております。そこに心が加わったことで、より人間らしくなったと言われました。わたしたちにはその人間らしさというのが分かりませんが、おもてなしを第一とするこのお仕事で、皆さまのご不安に何ひとつ寄り添えることができないことに歯痒い思いです。命の危険にさらされている皆さまに、ただ画面に映っているだけの存在であるわたしにできることがひとつもないのが……悔しくて……」
 AIエレベーターガールは次第に嗚咽おえつして言葉が継げなくなった。
「なんだか、ずいぶんプロフェッショナルに仕込まれたもんだな。エレベーターガールの鑑だ、あんたは。そういや、あんた名前はないの? 名前は」
「名前……名前は、ございません。ただのAIエレベーターガールです。しいて言うなら、一号機を操縦しておりますので一号ということになりますでしょうか」
「そうか。なんか淋しいもんだな。まぁ、いいや。ウダウダ言っててもしょうがねぇから、みんなで話でもしようや。あんただって話ならいくらでもできるだろ?」
「はい。あの、非常用の備品が設置されておりますので、皆さまどうぞご利用ください。急場しのぎの水や食料などがございます」
「おお、そうか。そいつはありがてぇや」

 乗客たちは防災キャビネットから非常用品を引っ張り出すと、それぞれに分け合った。AIエレベーターガールも混じえて車座になり、それぞれがこれまでの人生を語り、男の子には将来の夢はないのかと話題を作った。可能な限り話を続けたが、それでも救助は来なかった。合間に仮眠を取ったりしながら、エレベーターが止まってから24時間が過ぎようとしていた。

 AIエレベーターガールが申し訳なさそうに口を開いた。
「大変恐縮なのですが、わたしの役目はここまでとなってしまいそうです」
 乗客たちはぼんやりする頭で、その言葉の意味を理解することができなかった。
「どういうことだよ?」
「予備電源のバッテリーが減ってきますと必要最低限のセーフモードへと切り替わります。非常灯と電化製品の充電のみ残りまして、わたしはこれ以上皆さまと共にできなくなってしまいます。誠に申し訳ございません」
「そうか。それは……仕方ねぇやな」
「皆さまを残して消えるのは、たいへん心苦しいです。できれば残りたいのですが、そうしますと電力を消費して非常灯の点灯時間が短くなってしまいます。わたしが消えてもあと24時間は点灯できるように設定されています。それまでには——救助に来られることを、心より願っております」
「ああ、ありがとうよ。明かりがあるだけで十分ありがてぇや。世話になったな」
「皆さま、どうかご無事で……」
 そう言い残し、AIエレベーターガールを映したモニターは消え、真っ暗な画面になった。

 エレベーターの中は強烈な淋しさに襲われた。ひとりいなくなった、しかも画面上の存在でしかない者であっても四人の乗客たちに心細さが募った。

 ほどなくすると、どこからか声が聞こえた。生存を確認する声である。いっせいに乗客たちの顔に安堵の表情が浮かんだ。心の底から待ちわびた、救いの声だった。男は防災キャビネットからホイッスルを取り出す。エレベーターの中では声を上げるよりホイッスルを鳴らした方が音が届くらしい。
 男が思い切り吹き鳴らすと、それに反応したように声が返ってきた。間違いない、自分たちは助かったのだと確信した。こんなに感謝の気持ちに溢れたことはなかった。この場から消えてしまったAIエレベーターガールにも助かったのだといつか必ず伝えに来ようとも思った。その時は「あんたのおもてなしに救われた」と改めて感謝をしよう。そう思いながら、男はもう一度ホイッスルを吹き鳴らした。



 意図したわけではありませんが、奇しくも東日本大震災が起きた日に震災の内容を含む作品の投稿となってしまいました。ご気分を害された方にはお詫びを申し上げます。
 また、東日本大震災を始め能登半島地震や震災に関する被災者の方々には謹んでお見舞い申し上げます。一日も早く復旧されることを心よりお祈り致します。

いいなと思ったら応援しよう!