喋りたいからこそ書く
私の場合は書く事は…
ラジオで喋る為の代替行為・ストックを作る行為である。
何なら…
喋る為にネタを拾い集めて書いている。
もう一つの理由としては…
カフェの広報スタッフで…
カフェの日常を書くついでに自分の人生を自炊するかの如く書いているのである。
ライフワークの為のライスワークである。
楽しい事をやり続ける為に、
まずは食い扶持を稼いで食いつなぎ…
日々を生き残る為に書いているのである。
誰かの為と言うならば、
己が食いっぱぐれをしない為…
自分の為なのである。
食いつなぐ為なら、
多少の恥は覚悟の上だ。
食えない事でひもじい思いをするくらいなら…
自分の恥などは獲物を得る為の餌に過ぎない。
自己肯定感がなんて低いんだろうとは思う。
だが肯定感とか否定感とか他の誰かに食わせておけば良いと思ってしまう。
しんどいって言ったらしんどいのだが…
ひもじい感覚を味わうよりはしんどい方をまず選ぶ。
自分にとってみれば今のところ…
ひもじい事がしんどい事の最上級だからだ…
蛸が自分の足を食べてしまう行為にも似ているかもしれない。
なんて自己満足な文章を書き綴っているのかと思う。
でも…
ひもじさには勝てないのである。
できれば自他ともに心身ともに満たされる文章を書きたいものだが…
どうにも今の自分にはそんな文章を書ける気がこれっぽちもない…
それでも誰かの暇つぶしや慰めになるのならと思って書いているに過ぎない。
他人様の役に立つ文章なんて…
過去の偉人が図書館の一角を占めてしまうくらいには書き綴られている。
今、自分が多少そんな文章を書いたところで図書館の一角などを占められる訳でもない。
それにそんなにだらだら書いたところで読むのに疲れて…
部屋の片隅に積み上げられるだけなのである。
出来得るなら、
そんなものよりは…
コーヒーやご飯のように…
毎日必要とされながら…
一瞬で消えてしまうもので構わないのである。
人生のちょっとした格言とかも…
毎日必要とされながら…
一瞬で消えてしまうもののような気もしなくはないのである。
でもレシピの様に再現可能で…
何度も何度も味わえるものなのかなとも思う。
だからこそ…
日々…
自分や周りに必要だと思う格言を一日の締めの前に持ってくるのである。
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