子守歌のルーツ探し~五木の子守唄~
小さい頃に…
よく聞いた子守唄の中に…
熊本県球磨郡五木村に伝わる
五木の子守唄がある。
(歌詞はすらすらと出てくるのだけど…
昨日まで題名が一向に分からなかった…)
何故…
この記事を書こうと思ったのか…
実は…
昨日のドラマのあるセリフからなのだが…
(それも壮大な勘違いである事に後で気付くのだけど…)
「おど」
と言うセリフから…
この言葉を調べようと思ったからなのだけど…
ドラマの中の青森出身の人物が呟く
「おど」は…
父親・父さんの意味合いで遣われているのだけど…
五木の子守唄の中の
「おど」は…
私・己の意味合いで遣われているのだ…
同じ響きの言葉でも…
全く違った意味に遣われる…
そもそも…
父親がいない寂しさを歌った唄なのだと勘違いしていたのだ…
でも…
実は…
己の存在の頼りなさを儚む唄で…
子守している自分を慰める守り子唄なのだと…
無論…
子守をしている時に子守している相手に歌う子守唄でもあるので…
子守唄でも間違いではないのだ…
盆限りの子守なので…
その子と分かれる寂しさも相俟っていたのだろう…
一人一人が自分を慰む為に思い思いに唄っていたらしいので…
そもそもの元唄の歌詞が分からない状態になっている…
そう言う中で身内の不幸とかで…
自分の家の盆が先に来ると子守もせずに帰らなければならない…
そんな不義理をすれば…
次に雇われる保障もない…
そんな自分を悲しむ人…
思ってくれる人はいないのではないかと儚むものもあったりする。
かと思えば…
面倒を見なければならないけど…
頼ってくれる思ってくれる妹がいるのだと…
自分を励ましているのもある。
かと思えば…
子守するのは面倒だと愚痴る唄いもあって…
一見すると同じ節回しにも思う唄の中にも…
一人一人の物語があったりする。
だからこそ…
長く愛されて今にも伝わる子守唄になっているのではとも思う。
(素敵で切ないと思うものもあれば…しれっと怖い事唄ってるのもある。)
同じメロディーが流れても…
それを聞かされた子供たちの思い出は…
きっと千差万別なんだろうな…
音源収録Verでは…
少しばかり脱線トークも…
良ければこちらもよろしくお願いします。