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オメガカーブの狭間に取り残された謎の看板

先ずは、
CBCテレビ「道との遭遇」2022年5月25日に配信された公式Youtube動画(名阪国道ネタ部分)をご覧ください。
色々と道マニアの心をくすぐるネタが出てきます。

その中でも、
今回、
番組から出されていた謎の標識について、
私は、
道マニアの称号を勝ち取る為に果敢に挑もうと思います。
(もしかして、
解明している方がいらっしゃたら、
答え合わせに付き合ってください。)

この謎に挑む前に…
名阪国道の成り立ちから説明していきたいと思います。
この説明を抜きに本題の考察へ入ってしまうと道マニア以外の人には?な展開になると思うので…

この名阪国道…
別名が千日道路と言われています。

何故、
千日道路と呼ばれるようになったかって…
それは、
千日の予定工期で作る羽目になったからなんですが…
(実は、千日の工期内よりも早く完成・開通されています。)
何故、
その工期で作らなければならなかったのかは…
当時は
1964年東京オリンピックの前後ですし、
この時期、
奈良の天理市でも、
一大宗教イベントが控えていました。
そうなんです。
政治と宗教の力が働いている訳なんですよね。
あと、
建設計画を立てて道路用地を作る際に無料の一般国道として整備すると言って用地取得をしたとか、
まあ、
他にも色々と事情がある訳なのですが、
そうした込み入った事情は先ほど上げたリンク先でご確認ください。
良くも悪くも力技で、
この道の整備をやってのけたのですから、
1964年の東京オリンピックの頃の道路行政の熱気は、
想像を絶するものがあります。

さて、タイトルにも上げた謎の看板ですが…
看板自体は高速道路または、
高速道路ばりの国道バイパスによくある非常電話位置を示す案内看板なのですが…
一般道のそれも脇にそれた山道に取り残される様に設置されたのか…
その謎解きに必要なキーワードが
「千日道路」
なのです。

さて、ここからが私の謎解きの時間です。
一時期、警備員をやってる関係上、高速道路(後に新東名高速道路になる区間)の建設現場に関わる機会がありました。
その時の経験
(少しばかりうろ覚えですが)
高速道路予定区間内に既に非常電話が設置されていた事からの推理です。
名阪国道は当初、
有料道路(高速道路)として建設計画があったとの事…

あくまでも推論ですが、
携帯電話の基地局が増えて、
山間部でも電波が届く今となっては、
考えられないかもしれませんが、
この看板が設置された当初は民家とかも少なく、
携帯電話も通じなかったと思われます。
(そもそも、
名阪国道開通当初は、
携帯電話そのものが普及していない時期にあたります。)
私の警備員をしていた時期(2010年代)でも山間部等では携帯電話が通じないエリアがありました。
そして、
名阪国道内でもオメガカーブは事故多発地帯で知られています。
過去には、
高速道路の場合、
建設途中でも、
連絡がつくように、
非常電話が設置されたケースを見かけました。
2010年代でも山間部だと携帯電話が受発信する位置情報もかなりの誤差がありました。
ですので、
それよりも前の1964年頃は携帯電話がそのものの普及率が低かった事から考えても、
事故・事件が起きた時の発生場所の特定が難しかった事が想像できます。
ですので、
工事作業中に事故が発生した場合、
非常電話で通報すれば、
事故だと言うのは簡単に想像出来ますし、
その際のやり取りも現場状況だけを知らせれば良いので、
工事関係者の負担軽減にも当時は、
なっていたと思います。

何故、
看板だけが残っているかの謎解きは…
NHK津放送局の方のブログから引用させて頂いた上で推理していきたいと思います。
携帯電話が普及し、
山間部でも電話通信ができる今、
名阪国道内で採用された型の故障した非常電話の代替部品がなく、
故障した非常電話から順次撤去しているとの事。
ですので、
非常電話の案内看板だけが取り残される…
事情を知らない人から見たら?な展開になっている訳なのです。

名阪国道の非常電話がない・撤去されつつある経緯については、
NHK津放送局のブログに詳しく載っているので、そちらを参照してください。 


あくまでも、
私の警備員(交通誘導員)時代の職場経験とWEB記事を読み込んだ上での推理に過ぎませんが、
かなり真実に迫っているのではと自負してます。
この記事を読んで新しい手掛かりや事実etc.分かりましたらコメント等でお知らせくださいませ。
よろしくお願いします。

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