途中書きでも公開する訳。
久しぶりにマガジン「敢えて、敢えての途中書き」の記事を書き続ける経緯について触れておきたいと思う。
そもそも、タイトルが思いつかなくなったのがある。
言い訳として思い付いた事がマガジンのタイトルになっている。
でも思ったのだ。
日記も…
その日その日の出来事としては完結していても、
自分の人生と言うものの長さと比較するなら…
あくまでも一部でしかないし…
何より途中経過を書き留めているに過ぎないと思っている。
でも素敵な事…辛かった事…嬉しい事…悲しい事…
忘れたくない事や思い出したい事…気に留めておかなければいけない事…
そうした事を書き留めていく訳でしょ…
後で自分自身で読み返してみると気付かされる事が結構ある。
時には、あの時、なんでこんな事に拘っていたんだろうと反省させられる事も結構あるのだ。
書き留めていても失敗する時は失敗するのだ。
でも、書き留めていなかった時に比べれば、そうした事は少しは減っている。
私の場合は、明日の自分へのエールとして書いている側面もある。
文章って量だけ書けば良い訳ではないのは体感する。
でも、ある程度、書き続けて量を溜めて見やすくしないと見えてこないものもあるのだ。
どこまでが澱で、どこからが上澄みなのかの境界線が見えてこないのだ。
その澱にどんな悩みが沈み込んでいるのか。
その上澄みにどれだけ伝えたい事を込められているのか。
引っ搔き回し過ぎてどんな事に悩んでいるのか…
どんな事を伝えたいのか分からなくなる事もザラなのだけど…
それでも君の笑顔が見たくて…
君の泣き顔を放っておけなくて…
君が何に憤っているのか知りたくて…
君の色んな顔を知っておきたくて書き続けているのだと思う。