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#2 生成AI時代を生き残るために人間らしく生きる

「自動化されない非定型的な仕事」とか、「クリエイティブな仕事」とか、「人間相手のコミュニケーションが必要な仕事」とか、そういう仕事は人工知能時代にも生き残るし、新しい仕事も次々と生まれる、だから心配ないんだという人もいます。でも、20年、30年というスパンで考えたら人間にはどんな仕事も残らない、そう僕は考えているんです。もちろん、人口のうち5%くらいの人は、何をやらせてもうまくやれるでしょう。恐ろしく知能が高いとか、人を使うのがうまいとか、容姿や振る舞いがすごく魅力的だとか、そんな人はどんな時代でも好きなことをやって楽しく生きていけますし、仕事だっていくらでもあります。でも、人口の9割以上は、可でもなく不可でもない普通の人たちです。そういう普通の人たちは、クリエイティブ能力やコミュニケーション能力が少々あったところで、仕事がなくなってもまったく不思議ではありません。

岡田斗司夫『ユーチューバーが消滅する未来』[2018: pp.12-13]

 近い将来、AIの発達によってわたしたちの仕事はほとんどなくなってしまうといわれています。そんな世界はディストピアを語る思想家たちのただの妄想にすぎないのでしょうか。もしもそれが本当にそうなったとき、わたしたちはどんな生きかたを強いられることになるのでしょうか。そんな世界においても、才能があるほんのひと握りの天才たちの仕事はなくならないでしょう。そのディストピア的世界の到来に備えて、わたしたちがすべきことは自分の才能を開花させておくことなのでしょうか。しかし、AIの発達は現在の人間の予想を大幅に超えたものになるかもしれません。そのときに、少しくらいのクリエイティビティではAIの創作力を超えることはできませんし、コスパから見ても人間に発注をするよりもAIに任せたほうが安く済む、と判断されるということが起こるでしょう。天才の仕事とは、誰もが真似できないものであるからこそ、天才の仕事と呼ばれ、需要があるのです。ならば、わたしたち普通の人間は、どうするのが正解なのでしょうか。

 この問題は、「どうすれば人生に充実感を得られるか」というような感情論ではありません。「生き残る」ということについて論じるのが目的です。誰からも相手にされていないことに気づかずに、自身の小さなプライドを守りつづけるような人たちは、この世から消えていくことになるでしょう。そして、そのような人たちの耳にわたしの言葉は届かないでしょう。今わたしは、現実的な経済活動のことを話しているのです。ただ、「天から与えられたクリエイティビティがなければ、すぐに生きていくことができなくなる」とは思っていません。その理由は、AIの極度に発達した世界においてはベーシックインカムが施行されているはずだからです。なので、その日に食べるものが買えないほど困窮してしまうということにはならないと思います。しかし、いくらベーシックインカムによってある程度の生活が保障されているとはいえ、ベーシックインカムのみに頼って生きていくことを選択することはリスキーです。もちろん、そのような選択をしてはならないといっているわけではありません。それもありだと思います。ただ、そのような人生を選ぶことは自分の命を政府に預けることと同じことですので、政策次第で生存が危機的状況に追い込まれてしまう可能性があります。

 ならば、普通の人であるわたしたちは、どのようにして生きていくべきでしょうか。率先してクリエイティビティを発揮していくようなカリスマになることができるのは〈選ばれし者〉のみです。ならば、その〈選ばれし者〉をなんらかのかたちで助けるようなポジションにいれば、それが「最も安全が確保できるところにいる」ということになります。ただ、ここで気をつけなければならないのは、なんらかの特殊技能があって、その〈選ばれし者〉と労働契約を結ぶという関係を作ったほうがよいといっているわけではない、ということです。そのような仕事だけの人間関係ですと、その契約が切れたときに収入が途絶えてしまうことになります。次から次へと依頼がくるような人であれば問題はありませんが、そういう人はまさに〈選ばれし者〉と呼ばれるような人でしょう。よって、そのような仕事上の関係だけではなく、こころとこころでつながっているようなウエットな人間関係の構築が必要になるのです。

 それは〈選ばれし者〉の奴隷になるということではありません。その信頼関係の担保された小さな組織のなかで、各自がそれぞれ能力を生かして組織を存続するために働くのです。これから時代の変化は年々早くなっていきます。なので、時代によっては自分の長所が役に立たなくなってしまうということがありえるわけです。そのときに見捨てられないような組織にいることが重要なのです。それはメリットのみで判断されて切り捨てられる、ということがないような組織です。この高度に情報化されていく世界のなかで、人間同士の「つながり」や「きずな」というものの意味を考え直し、人間らしく生きていくことが求められているのです。

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