中国 近代化の弊害
未だ、彼の国は、近代への憧憬と幻想を追いかけてやまない。彼国の近代化とは文字通り西側社会に於ける近代、現代の意味と同様と解するべし。その意味に於いては彼国は、自らを発展途上国たるを任じ、それがまさに一種の後進性たる範疇を出ない。軍事増強の誇示、コンクリート化の無条件的礼賛、これらは西欧社会を追い越せというナショナリズムを以て武装せるは、いやはやちょっと厄介な代物を国是としたものだ。また、その自ら任じた後進性という自己矛盾が今後、自らを、滅ぼしで行く事に気づいていない。
ここにアジア的な病根を再び見る事になる。
アメリカニズムとヨーロッパへの無条件な礼賛と憧憬、それと劣等意識。これは等しくアジア的なるものへの否定である。
目覚めよ!
諸君は、自らを否定し、アジアの雄たる資格はない。大体、自らを西欧的尺度ではかり後進性を自ら任じたる国家にはどこまでも欧米讃歌が謳われていることを。
諸君は等に、欧米の悪臭をまで引き受けなければいけないのだ。欧米は既に自己自信の文明への懐疑と自己批判への方向へ舵を取っている。
近代への否定へと舵をとっている事を気づくまで、彼の国は未だそれを踏まえていない。
ただただ軍事的な誇示と自らの先進性を誇示するばかりだ。
孔子が悲しんでおるわい。
古の政賢が諌めるところを大手を振っていきとるがな。古の聖賢の道を大いに踏み外す事、甚だしくて見てはおれん。