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80年前存在した町探しツアー(つづき)


川の横の家

誰も手入れをしないのか、生い茂った草木のせいで細い道がもっと狭く感じる。この細道からまた分かれ道があり、もっと細い道が点在する。先には木材やトタンでつぎはぎされた家がポツリポツリある。

川から数十センチしか離れていないところにそんな家がある。
川の水が勢いよく流れているが、水量が増したら一体どうなるのだろう?

今まで無事なのだから、運よく被害はなかったのだろう。でも今世紀の異常気象による豪雨はいつ家を飲み込むか分からない。でも住みつづけるしかないのが現実なんだろう。

そんなモヤモヤした思いをしていると、夫の口からまさかの言葉が飛び出した。
私が心配していたその家が義母の実家だと言い出す。
「いや、違う」義母は強く否定する。
「あの川で洗濯した覚えがあるよ」と夫。
「ぜんぜん違う」と義母。

羨みと妬み

何が真実で何が勘違いか私には分からない。口出すこともできずに、二人のやり取りをただ見守る。

この二人にはそんな「時代」があったんだなー。
大変な時代を生き延びてきた事に敬意を表するもの、何故か嫉妬に似た感情が沸々とわいてきた。こんな感情を抱くなんて、以外だった。

私にも幼少期の思い出がある。
東京で一間しかないアパートで父母と三人で暮らした。隣近所の生活音がダダ漏れでまるで皆で同居しているようだった。
今となってはそんな話をする(義母と夫のように記憶違いを指摘しあう)相手もいない。

そんな寂しさが、昔の情景を思い浮かべながら言い合う義母たちの姿を妬ましく思ったのだろう。

クライマックス

まだ目的地を探せないまま車は進む。

細道の先の小路は砂利道となり、危険を感じるほどになっていた。
田舎育ちの二人はそんな道も慣れているようで、まだ先を進もうとする。

もうUターンもできないほどの道幅だ。
やはりここでは無いのか。

左手に家々があり、右手は草木覆う山肌だ。
そんな山肌から突如白いガードレールが見えた。
道路だ、これで脱出できる!

今までは進むことを躊躇っていた私は、早くもっと走って!と気持が逸る。
しばらくすると、これ以上進んだところで見つからないと観念(?)いや納得したのか、ガードレールがある大きな道路へ出ることになった。

道路との合流地点の目の前にはバス停があった。
「●●入口」と書いてある。

負けた…?

自分の家の前がバス通りだったと言い張っていた義母は、「あー、何で●●にバス通りがあるん?!負けてしもうたわ。」

???

要するに、自分の家の前の通りが廃れ、横の●●がある通りがバス通りになったという事らしい。
これって勝ち負けの問題か…?

義母にとってはそうであったのだろう。
潔く負けを認め、ツアーは終了した。

ツアー閉幕

韓国には「10年経てば山や川(の様子)も変わる」ということわざがある。
80年も経てば8回変わっているのだから、面影もなく景色は変わっているのも当然だ。

でも訪れたことができ、義母は満足の様だった。
故郷愛を感じたツアーの最後に義母がポツリ、
「これで思い残すことはない。」

死ぬまでに達成したい事の一つが達成できた瞬間だった。


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