北海道が好きになったわけ④
憧れの北海道で初めての一人暮らし。ワクワクしか無い中で北海道に初上陸。超美味い海鮮丼も食べて上機嫌の僕が向かったのは、深川市納内町のアパート。30年以上昔のことなので、まだ携帯電話は無い昭和の時代。webも普及してなかったし大学が紹介してくれた幾つかの下宿先やアパートを、築年数と間取図、賃料だけを見て決めた。
その結果、一目見て母親が拳を握り締めてワナワナ震えるようなアパートに当たってしまった。
当時、東京でよく見たアパートは、2階建てで外階段が付いているタイプ。外廊下に面して各部屋の扉があって、その横に洗濯機を置くのが主流だった。ところが目の前にあるのは、まず引戸。ガラガラと戸を横にスライドし靴を脱いで、2階へと階段を登っていくと、色とりどりのカーペットが2階の共用スペースに汚いパッチワークのように無秩序に敷いてある。スペースの中心には今で言うアイランドキッチンスタイルの共同の調理場。そして、そのスペースを中心に各部屋のドアがあった。試しにひとつドアを開けてみると、なかなかに歴史を感じさせる空間が。床のカーペットはグレー。気のせいか窓の方から冷気が入って来ている。他の部屋を開けると当然だが同じく年季の入ったスペースで、部屋ごとにオレンジや緑のカーペットが敷いてある。そうか、床にあったパッチワークは各部屋のカーペットの余りだったのか。できればちゃんと切ってちゃんと綺麗に貼って欲しかった。
「このアパートはやめようか。身体悪くしそうだから。お母さんがどうにかするから、ね?」母親が顔を引き攣らせながら言ってきた。
その時「あんの〜、このアパートに入るんですか?」と色白の若者がちょっと訛った口調で話しかけて来た。
「いえ、まだそうとは決めてないんですよ。オホホ」とこめかみに筋を浮かべながら母親が返答すると、彼は「あら〜、そうなんですかぁ。オレ、もうココにしたんだけど、勝手にアッチの部屋に決めてしまって良かっただろうか?」と訛り全開で言ってきた。その様子を見て、そもそも母親が付いてきただけでも恥ずかしいのに、若干?大分?かなり?年季の入ったアパートだからって、母親に言われて改めて良いアパートを探すのは、初っ端から北海道に負けて逃げるように感じてしまい「いや、俺もここにする。この部屋、俺の部屋にしていいかな」と言ってしまった。
そして、アパートの部屋に一泊して少しでも息子との時間を過ごしていくつもりだったらしい母親を「もう、帰っていいから」と追い出した。早く一人暮らしを満喫したかったのだ。
この時のことは30年以上経った今でも恨みがましく言われる。「酷かったわよね〜。近くのスーパーに買い物に行って何か作ってあげようと思ったら『イカソーメン食べるからいい。早く帰りなよ』って追い出されたのよ〜」って。
今では心から申し訳なく思っております。でも、やっぱり北海道まで親が付いてきたのなんて殆どいなかったし、そういうのって恥ずかしかったんだよ。自分に子供ができて親の気持ちも分かるけど。
夜、話しかけてきてくれた彼、青森出身の沢村君と初めましての飲み会を開いた。あれ?そういえば今気がついたけど、その時は未成年だったか?ま、そう言う時代だったし時効ってことで(笑)。
こうして北海道の一人暮らしがスタートした。