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北海道が好きになったわけ24
この話は遥か昔、日本にまだ「ハラスメント」なる言葉や「コンプライアンス」なる概念など何処にも無い、むか〜し昔の話。
僕らのテニス部は、当時の北海道リーグの1番最下層の5部リーグにいたが、一応は体育会で、しかもテニス部のくせに何故か女子が皆無。
男塾みたいなテニス部だったので、先輩の言葉は「白いモノでも先輩が黒と言えば黒」と言うほど、先輩の命令は絶対的なものであった。
遠征試合のある日は、1年生が先輩達を起こしに行き、先輩がまだ布団の中でグダグダしている間にコーヒーとトーストを用意しないとならなかった。
先輩に酒を注がれる時は、今入っている酒は飲み干してグラスを空にしないといけなかった。入っていると「それ、洗って」と言われて、結局飲み干さないとならなくなった。
ホルモンが苦手な師匠の前に焼いたホルモンをたっぷりと置いて
「谷中〜、俺が心を込めて、丹精込めて、谷中の為に焼いたホルモンだ。たっぷり食ってくれ」
とニヤニヤする事もあった。
最近文字に書き起こすと気がつくんだけど、コレってイジメとか虐待って言われる事だよね。
でも、先輩達とは基本的に仲が良かったのでよく一緒に飲んだり遊んだりしていた。当時流行っていたのがファミスタ。野球のゲームで最も人気の高かったゲームだった。
先輩達とはよくファミスタでイッキを賭けて試合をした。勝敗は勿論のこと、「ホームランを打たれたら指名された器でイッキ」とか、「点をとられたらイッキ」という具合にバリエーションに富んだイッキだった。
その日は珍しく岩田ちゃんが参加していた。
岩田ちゃんはテニス部では会計係をしていたけど、スポーツは全般的に得意そうではなかった。たまにテニスをすることもあったけど、ほぼ空振りかホームラン。昔、広島にいたランスのようだった。未だに、何が楽しくてテニス部にいたのかよくわからない。
岩田ちゃんはスポーツのゲームも苦手だった。
なので、何が楽しくて先輩達とファミスタイッキに参加したのか未だにわからない。
でも、先輩達はそんな岩田ちゃんでも容赦しない。というか弱者をいたぶる時の先輩達(元珍走団)は本当に楽しそうだった。
「岩田ぁ〜。どうすんだ?ノーアウト1塁、2塁で4番だぞ。ひゃっひゃっひゃっ!」
「お前、ここで点取られたらやべーぞwww」
既に味噌汁のお椀や丼でイッキしていて、もう少しで潰れそうになってる岩田ちゃん。
ハンデとして最強チーム、レールウェイズでプレイしていたが、エース・やまだのアンダースローから放たれた棒球は、カープの4番・こうじに見事に弾き返された。3ランホームラン!
「あーっはっはっは〜!岩田ー!氷入れるヤツ持って来ーい!」
フラフラしながら岩田ちゃんが持ってきたのは、アイスペール。グラスの何杯もある容器に並々と焼酎を注がれ、真っ赤な顔で目が座ってる岩田ちゃん。
「おらイケー、岩田ーーー!」
「一滴も残すんじゃねーぞ?コラァ!」
先輩達がゲラゲラと煽る中、覚悟を決めて一気に焼酎を飲む岩田ちゃん。なんとか飲み干すと、ボブ・サップにKOされた曙のように、前のめりに倒れて寝てしまった。
こういうのはしょっちゅうあった。
1番大きい器は、旅館に飾ってあった花瓶。人の腰くらいの高さがあった。その花瓶で代わるがわる交代で飲んだ。でもって、翌朝、旅館の人に死ぬほど怒られて出禁になった。
今から思えば、急性アルコール中毒とかでよく死ななかったな、俺達。
先輩達が言うには、その上の代からもっと酷いことをされていたので、自分達の代ではそういうのはもう辞めて、後輩達と仲良くして楽しく学校生活を送ろう、テニスを楽しもうと誓ったらしい。
ん?すっと流しそうだったけど「自分達の代ではそういうのはもう辞めて」って、全然辞めてなくないっすか?