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北海道が好きになったわけ16

冬は暇だったのでスキーばっかりしていた。

大学の同じ学部のほとんどが道外から来ていたので、雪やスキーに慣れていなく、雪が少し降るだけでワクワクしてしまった。その結果、

「ハイ〜、そこの学生達〜、道路でスキーしない〜」
と、パトカーからスピーカーで怒られてしまった。なかなか聞いた事ないフレーズだ。そう、道路に5センチくらい積もっただけでテンションが上がってしまい、普通の道路で普通のスキーをつけてキャッキャキャッキャしてたのだ。アホだ。

スキーばっかりしてたっていうと、なんとなくウインターリゾートっぽいけど、全くそんなことはなく。皆んな貧乏だったのでスキーの板は最初は先輩から譲ってもらった。そして、大学の前に来るスキー場専用の無料バスでほぼ毎日スキーに行って昼飯も食わずに滑りまくっていた。そんな貧乏スキーヤーの僕達を見かねたのか、無料バスを待っていると、たまに先生がオニギリをくれる事もあった。
「お前ら毎日よう頑張ってるな。嫁さん作ってくれたから、ほれ、持ってけ」って。今なら不公平だの何だのうるさいかもしれないけど、めっちゃ嬉しかったなぁ。今でもその時の先生のガハハと笑った顔を覚えている。こういうのが恩師だと思う。

それにしても北海道の子供達は皆んな上手だった。僕は子供の頃に少し経験があったので少しだけ滑れたけど、仲間はほとんど初心者ばっかり。大学生のお兄さん達があっちこっちで悲鳴を上げながらバタバタと倒れている横を、ペラッペラなウエアを着た子供達が凄いスピードで滑っていく。

僕らが毎日のように通っていた「カムイスキーリンクス」では、セントバーナードも四つ足でスキーをするショータイムがあったので、なんなら皆んな犬よりも下手だった。
そういえば、セントバーナードは夫婦で子供も産まれて、しばらくは4頭で幸せそうに暮らしていたんだけど、そのうちお母さん犬が亡くなったらしく。お父さん犬だけで、ショーをしていたけど、いつもは転けないのにパタパタと力なく何度も転けるのを見て、初めて犬にも深い愛情があるのを知った。痛々しくて見ていられなかった。

そんな事もあったけど、基本楽しくスキーをしてるうちに皆んな段々と上達し、先輩のお下がりの板はエッジがほぼ無いまさにただの板っ切れだったので、ちゃんとした板を親にねだって買ってもらったりウエアもイイのを買ったりするようになった。

今のカービングスキーと全然違って、長い板が主流だった。今は身長よりも同じか少し短いのが適した長さみたいですが、当時は長ければ長いほどスピードが出て安定して、上級者しか使えないっていうイメージがあったので、165センチの僕が2メートルの板を履いていた。僕の板はケスレーというブランド。サロモン、アトミック、ニシザワなどが人気だった。

跡見さんは真っ赤なアトミックの板だった。
カムイスキーリンクスのメインコースは急斜面があって短い緩斜面があってすぐまた急斜面になっていた。

ある日、ゲレンデにいると他のアパートのガッキーが騒いでいた。  
「シャケちゃーん!跡見さんが飛んだー!」

え?飛んだ?どゆこと?

ガッキーの話を総合すると、メインコースの最初の急斜面で直滑降でスピード出して、緩斜面をジャンプ台にして30メートルくらい飛んだらしい。
急いで現場に向かうと、グニャリと曲がった真っ赤なアトミックが雪面に刺さっており、スノーモービルで跡見さんが運ばれていった。

跡見さんは幸い右膝の靱帯が切れただけで済んだ。一口に30メートルっていうが、とんでもない距離を飛んだもんだ。
「跡見さんが飛んだー!」で最初に思ったのは「クスリやっちゃった?」とか「海外に逃げた?」って事だったから、無事で良かったです。

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