(2/2)ゲーム条例にまつわるゴタゴタと同じようなことは私の住むところでもあったし、IIYY Projectにも検証の余地はあると考えたこと。
IIYY Project(#IIYY)がnoteに公開されたとき、匿名個人たちの自由気ままな進め方の着地点が全く見えなかった。公的な意見募集あるいは署名活動のフォーマットはゴールが見えるけれど、こちらはわけがわからなすぎて最初はちょっと怖かった。
条例などの素案に対するパブリックコメントは、賛成・反対の単純なものではなく、さまざまな見地からの意見を求め、集まった意見をもとにより良い形を作っていくためのもの。数ではなく質。
署名活動は、賛同を求める意見がまずあって、それに賛同できる人は署名するというものが多い。こちらは数の力となる。
IIYY Projectはそのどちらでもなかった。
「素案⇒素案への意見募集⇒素案の見直し⇒完成」ではなく、「素案⇒素案に近い意見だけを募集⇒素案に近い意見だけでやたらと文字数を膨らませる」という進め方は、ダメなパブリックコメントのパターンに似ていたので、収拾がつくわけがなかった。かといって、署名のように核となる意見があるわけでもなかった。
途中から、これはタワーレコードにある「藤井風さん応援ノート」のようなものだなと気付いた。私は便乗して、「騒動を経て藤井風をますます大好きになった」というメッセージを送った。IIYY Projectに寄せられた他の人のメッセージも、どんなに藤井風が大好きかがとても多く書かれていた。
「藤井風さん応援ノート」と同じように、仮に藤井風やその関係者がメッセージを読んだとしたら、いったん心に受け止めて、それで終わりだと思う。「藤井風さん応援ノート」だって要望や質問を書く人もいるだろうけれど、それに本気で返事を期待する人はいないはず。ふんわり終われば良いと思う。
でも、書いたことは消えないし消せないし、じわっとどこかに残るから、ゲーム条例のようにさまざまな検証がされるかもしれない。
まだやってるの?という意見もあるだろうが、今からが大切だと思う。