目には見えない"スキ"をもらっているかもしれない
noteをはじめて1週間経ちました。
気づけば毎日投稿していました。
このモチベーションは何かというと、ありがたいことに「ビュー数」や「スキ」といった反応をいただけているおかげさまです。
しかしその数字だけを見て記事の価値を決めるのは違うのではと感じたことがあり、そのことについて書いてみることにします。
noteを始める前、しばらくSNSは見る専で発信側からは離れていました。
初投稿時は「つたない記事だけど、1人でも読んでくれる人がいたら嬉しいな。」という謙虚な気持ちを持っていました。
ところが初投稿記事でいきなり“スキ”の反応をいただけてしまいびっくり、さらにはビュー数も想像より多くて舞い上がってしまいました。
そしてアクセス数のページをちょくちょく見に行ったり、通知がつけば即確認したり…一時期眠っていた自らの承認欲求が活動を再開してしまいました。
そんな中、noteの記事をいくつか拝見するうちに「人気タグからランダムに◯◯人フォロー」や「記事を読まずにスキを押す」といったアクションがあることを知りました。
そのこと自体を否定するつもりは一切ありません。
むしろ、ここで冷静になりとても良い気づきをいただきました。
思えば私自身も大好きなYouTuberさんの動画を見て、楽しんだ後に毎回高評価を押すかというとあまり押しません。すぐ次の動画が再生されるのと、普段は評価の存在を忘れるほど作業用BGMとして生活の一部となっているためです。
まれにものすごく心が動かされた場合に評価の存在を思い出し押すことはあります。
スキの重みはプラットフォーム・人それぞれの価値観によって大きく異なるのでした。
noteのビュー数についても冷静に考えてみました。
その中にはきっと間違えて押してしまった方、開いたけど途中で離脱した方、流し見で閉じたという方も一定数含まれるでしょう。
なぜなら私自身もそういうことがよくあるから。
時間は誰にとっても最大級に貴重なものです。お互い様なのです。
そして同時にこうも思うのです。
もしかしたら見ず知らずの誰かの生活に、心境に、ほんの少しでもプラスの影響を与えられているかもしれない。
noteを続けてさえいれば、この先でもその可能性は充分にあり得ます。
基本的にスキやコメントを残さないタイプの方がユーザーの大部分と言います。そういう方の中には、ブラウザのブックマークに追加してくださっている場合もあるかもしれません。
このような妄想の先に、初投稿時の「1人でも読んでくれる人がいれば嬉しいな」の思考に戻ってくることができました。そして数字を当初より冷静に見れています。
どうしても目に見える数字に注目しがちです。
それでもきっとこの世界には目には見えない数字と「スキ」があるだろうなということを頭の片隅に置いて、今日もゆるく書いていきたいと思いました🥳