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ある日、父の遺書が届いた。

昨日、父から「随想集」と名前がついた手作り感満載の冊子が届いた。
物書きな父は、何やらいつもコツコツと何かを書いていたが、もしかしてこれを書いていたのかと思うほど、日々の何気ない記録がまとめられていた。

私が父からのこの冊子を「遺書」だと思ったのは、冊子を開いて1ページ目にこう書かれていたからだ。

【感謝】
この世を終える頃となりました。
ありがとうございました。この一言しかありません。このようなどうしようもない私がここまで生かされてまいりました。ただ、ただ、ありがとうございました、という他、ありません。

ここまで読んで、ちょっと待ってよ、と声が出そうになった。
でも父のことを考えた時、退職後、父はいつ死んでもいいというような心持ちで生きていた。だから、この文章は自ら死のうとする前に書いたものではなく、本当にいつ死んでもいい、という前向きな人生観のもとで書かれたものなのだと、すぐに察知した。

読み進めていくうちに、ある日記だけ脳裏にこびりついて離れないものがある。
それは、

「娘に支えられていた4年間だったことに、今、気づいた。」
娘が教職に就いて1年目で職場の上司に「パワハラ」を受け続け、悩み、そして、休職した。それを知り、私は親として心配した。その時、過去4年間うつ状態で自分のことばかりしか考えられなかった自分が娘のことを思うようになっていたことに気づいた。その時、過去4年間娘が私を支えていたという思いに至った。

という日記だった。
私はなぜだろう、この文章を読んだ時にどうしようもなく涙が止まらなくなってしまった。訳もわからず、一人でわんわん泣いた。
私が大学生だった4年間、同居していた父親はずっと鬱病だった。鬱病の父にどう接したらいいか、悩まなかった日はなかった。当時は無自覚だったけど、うつ病の父と一緒にご飯を食べるのも、今にも死にたそうな姿を見るのも、声をかけていいか様子を伺うのも、かなり精神的に応えていた部分が今思うとあった。父は、うつ状態から抜け出しつつある今、あの頃を振り返り、そして私の気持ちを顧みたのかと思うと名状し難い気持ちになった。嬉しいというとあまりに浅はかで、でも父からの愛情的なものをすごく間接的に受け取ったような気持ちで、じんわりときた。本当に、心から良かったと思った。私も、お父さんも大丈夫になりつつある、と確信めいたものを感じた。やはり、嬉しかった。

私は、他のブログにも書いてきたけど、お父さんが一体何を考えているのかをずっと知りたい、でもわからないと思って生きてきた。でも、この随想集にはお父さんがうつ状態の時からその状態から脱しつつある今まで、毎日の大きくも小さくもある出来事を、そして世の中を、どんなふうに眺めていたのかがお父さんから出た言葉で綴られていた。そこには、何かいいことが書いてある、とか今後役に立ちそうなことが書いてあるとかではなく、そこに綴られた言葉の節々からお父さんという一人の人間の心がようやく見えた気がして、そのことだけがただただ嬉しかった。そうか、お父さんはこんな思いで苦しんでいたんだ、もがいていたんだ、と知ったことでお父さんを許そうと思うことさえできた。誰かを許せない気持ちになってしまうのも、その人のことをあまりに知らないからかもしれない、と思った。
私にとって、この随想集は間違いなく心の拠り所となった。

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