適応障害体験記④〜パワハラ上司のいる職場へ復帰するには〜
この記事は、前回の記事『適応障害体験記③〜回復のための2つの救い〜』の続きです。パワハラ上司がいる環境は変わらない状況下で、どのように職場復帰したかを書いていきます。現在、辛い思いで働いている誰かの元に届きますように。
適応障害の診断から3ヶ月後
適応障害の診断がおり、学校を休んで3ヶ月経った頃の私は、「どうしてもクラスの子供たちに会いたい」という思いが拭いきれず、2学期からの職場復帰を決めました。とは言え、パワハラ上司が職場には以前と変わらずいて、当時の私にはそのことだけがどうしても耐え難い事実でした。
職場復帰をする方法が見つかった
どうすれば職場復帰できるか考えていたちょうどその頃に、初任者指導の先生(教員1年目を指導する立場の先生。以下、A先生と言う)にある提案をされました。
その提案とは、
「今後は、あなたと上司の間に私(A先生)が入る。
私が上司から直接あなたへの伝言を聞いて、それを私があなたに伝える。
つまり、あなたは今後一歳上司と直接言葉を交わすことはしなくていい環境にする。
だから、もう一度あの子たちの担任になってくれないか」
私にとって、A先生のこの提案は鶴の一声でしかありませんでした。
そしてまた、この提案以外に私が職場復帰をする方法はもうないと確信しました。
と同時に、このような異例な状況は同じ職員室の先生方に迷惑をかけることになるとも確信しました。
心の中で、「先生たち、迷惑かけてごめんなさい」と謝りました。
それでも私は、子供たちの担任に戻ることを固く決めました。
この提案をしてくれたA先生には感謝の言葉が見つかりません。
職場復帰1日目、子供たちのいない静かすぎる学校
最後に学校を訪れてから3ヶ月ぶりの学校に入りました。
たった3ヶ月しか経っていないのに、私には1年ぶりくらいの感覚でした。
自宅療養していた3ヶ月は、「生きながら死んでいた」という表現以外思いつかないくらいの辛い、辛い時間だったからです。
人に会うのも、人と話すのも久しぶりだったので、その日はもう朝から心拍数がやけに速かったのを覚えています。
夏休み中の学校は、子供がいなくて閑散としているのに今にも子供達の声がしそうな不思議な雰囲気でした。
担任していた教室に入った瞬間、「やっと戻って来れた」そんな気持ちになり目頭が熱くなりました。
それと同時に、子供たちに「ごめんね」と謝りたくなりました。
その日は、精神的に職員室に入ることができなかったので、別室で仕事と引き継ぎをして帰りました。一日学校に居ただけで家に帰って気絶するほど疲れました。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
次の記事では、忘れもしない子供たちと再会した日について書いてみます。