西城秀樹 ペンライト伝説
70年代当時をふんわりとしか知らない私が、個人的に知った事を備忘録としてまとめる。
・秀樹自身の証言 初めての大阪球場コンサート(1974.8、ソロ歌手としても初)前日にラジオ番組で、夜の公演だったので「客席のみんなが見えるように、懐中電灯を持ってきて」と呼びかけた(2015年の東京新聞連載記事「ヒデキカンレキ」より)
ーー→テレビでは何度もこの事に言及しているが記事としてはコレかな。「何か光るものを持ってきて」って言ってる時もあるけど、おそらく補足的にでも「懐中電灯」というワードは出してたんだろう。(追加 :「懐中電灯とか何でもいいから光るものを持ってきて」だったらしい)
・ファンの証言 ヒデキの呼びかけに応じて、家にある懐中電灯を持っていった人多数
ーー→両手で持つようなデッカい懐中電灯持ってって、周りの人達に笑われた!なんて思い出を話されている方も😊
・映像、画像に残るペンライト
・1975年の夏の全国ツアーを追ったドキュメンタリー映画「ブロウアップヒデキ」 (松竹)
オープニングフェスティバルは富士山麓の昼 のコンサートなのでペンライトはなし。しかし次 の会場、札幌ではペンライトを振ってる人がいるし、ファイナルの大阪球場でもペンライトを振る人々がいる
・1975年11月、武道館公演(ソロ歌手として初の武道館公演)を収録したアルバム「二十歳の日記」にペンライトを振る画像あり
・1976年2月 TBSセブンスターショー 色とりどりのペンライト(中にセロファンを入れてたんだって)を振るファンがしっかり映っている
・それ以降、確認出来た球場コンサートでは全てペンライト振ってる人がいる
ーー→ある年の映像でヒデキは、「みんなの顔がよく見えたよ‼️」と叫んでいた
秀樹ファンのペンライトは定着し、曲ごとに振りも決まっているし、当時は色も曲ごとに変えてたんだって。ファンクラブの支部が全国各地にあって、新曲が出ると「応援練習」が行われ、振り付けも曲によっては地域差があったこと、ヒデキもちゃんと把握してた。
当時のペンライトは光💡が弱いので、ポンポンを作って、下からペンライトで光らせてたグループもいたそう。
ペンライトが販売されたのはいつからなのか?
74年は手持ちの懐中電灯🔦、翌年1975年は大阪球場までの道にペンライトを貸す出店が並んだそう。
公式からの販売、確認出来たのは79年だけど、その前は?まだ捜索中です💦
残念ながら、私個人は74年ペンライトの映像(画像も)見ることは出来ていない😭(これも捜索中)
74年は映像が少なく、最近出たTBSのDVD📀BOX、8時だよ全員集合の歌唱シーンは、客席真っ黒なんだよね。歓声は凄いんだけど✨残念😢
6年前、2018年5月に西城秀樹さんが亡くなられた後、毎日泣きくれて、結果ガチファンとなりました。
そんな私が初めてペンライト(今はサイリウム)を振ったのは、2018年7月17日に行われた東名阪Zeppでの「ブロウアップヒデキ」のフィルムコンサート。
2階席最後列からみた皆さんペンライトの波は大変美しく、振りもよく揃っていた。近くにいた方は、「何十年経っても振りは覚えてるもんだね!」と言っていた😭
それから毎年フィルムコンサートに参加して、今では大体の振りは覚えたんだけど、まだ知らない振り付けもあり。精進します😌