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サーフィンとわたし♾️♾️♾️♾️♾️

2009年の春
私は3月に10年勤めた保育士を退職して
誰も知人がいない場所へ
ワーホリへ行くことになる

というか自分で決めていたのだ
唯一知っている人は
サーフィン雑誌で知ったベリンダバグスというサーファー

日本のロングボードのサーフィン雑誌の最先端の情報を見ては、女子サーファーたちは、憧れるサーファーの波乗り談議にその名前がよく登場していた。
わたしは誰だ?というかんじ。
ほぼ始めたばかりのよく知らん波乗りの色々🏄‍♀️

しかしながらなんだかわからないけど、
昔のキラキラしたアイドルみたいな興味深々な熱さはなかったけれど、
名前だけは頭に残っていた

サーフィンをしたくて、ワーホリへ海外へ出たものの
ほぼ毎日、英会話学校に通う日々。

海はたまにチャリやバスや休日にホストファミリーが連れて行ってくれてジェラート片手に海を見るだけであった

自分の中でどうしたら自分の理想としている波乗りができるんだろ?
と毎日キュンキュンしながらも
考えていた

ボディーボードは持参してきたから休日はちゃりにのり山を越えてまあまあ波乗りはできていた

でもやっぱりロングボードに乗りたい!ハートは正直である。
はやく!ロングでハングテンしないと!できないけど😆

毎日学校から帰ってきてから
サーフショップを調べたり、休みの日は海へ行ったりして居ても立っても居られず

ついにホストの父ちゃんに、奥地にあるサーフショップに連れて行ってもらった。

そこには、おんもたいロングはあまりなくて
ハード系の軽い板をおすすめしてくれたコレしかないのか?


重たいシングルフィンのいたはあまり見当たらなかった

仕方なく諦めようと悔しい気持ちでメインビーチへ向かいボーっと海を観に行くと、
シングルフィンのロングボードの方々かゆったりと波乗りをたのしんでいた。

いいなぁ。わたしもそうこの感じで波乗りしたいんだ。


しかしながら、
結局、手にした板は。
軽くてツインフィンのロングボードであった

そうそれから
同じお家にステイしていたスイス🇨🇭のジョンに太陽の絵を板にペイントしてもらったの

それから数ヶ月


こっちにチャリンコでロングを積んで海にいくためのボードキャリアを伊豆サーファー友達から空送してもらい
湘南のサーファーみたいにチャリンコサーファーデビューしたのでした。
たぶん、コレがきっかけで海外のこの地でわたしが流行らせたと思う!

しかしながら
わたしの住んでる場所は山越え⛰️がありメインビーチまでかなりキツキツの汗汗💦
チャリンコでロングは結構長いし風ふくとゆらゆらしたけど、なんとかメインの内海で無事波乗りデビューできたのでした
しかしながら、暑さと体力的に疲れてしまいなかなか波に乗ろうとしても乗れず苦しい日々を送ります

行き帰りに体力消耗でバタンキューの週末
どうしたらいいだろうか?

悩みに悩んだ末に!

わたしはまたもや
ホストファミリーにわかちあい

どうしてもサーフィンは大好きで海には入れてはいるんだけれど、
とにかく、行き帰りの体力が必要すぎて海でのパフォーマンスができず涙😢なの。。。体力つければいいんだけど、バイトして海に行ってはかなりキツキツ。
そのころには、もう学校も終わり、
日本食レストランでバイトしながらシェアハウスに移っていたのでした

わたしは海に入りたいときに自由に入れるように🗽車がほしいの🚗!
と。
かなりのパッションが伝わったようで
ホストファミリーの父ちゃんは、
ええよ!と
週末に自動車やさんに一緒に行ってくれることになったのでした。
ほんとうに大好きなホストファミリーなのです。

そして!
念願の車を
$1500でとよたのカムリ440
をげっとしたのでした。

めちゃんこ中古だし、エンジン載せ替えてるし、
ガソリンランプ壊れてるし、
ラジオとCDはきけるし、
エアコンも!
ただ
ただね、
窓は手動でした笑
トヨタのはちろくみたいなハッチバックというのかな?
中もきれいだったし、
あちらの日本でいうJAFみたいなロードサービスがついた保険にもいちよはいったのよ

あー。
この車ならばロング詰めるし、オートマだし、
天下のトヨタだから大丈夫っしょ。
めでたしめでたし

さーどんなサーフトリップがはじまるのかな?

わたしとサーフィンの旅は続く

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