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あこがれと現実
予備校に通っている時期に「講師」へのあこがれがあった。
無事に大学に進んだのち、就職しようとするときに、
いくつもの会社に資料請求や面接を申し込んだ。
最終面接にまで進めた会社が「学習塾」だった。
無事に採用されたが、のちに採用時の基準を知らされた。
一次試験は当時のSPIのフル試験だった。
採用担当者は、結果を見ていないという。
学習塾である以上は、塾生に対して真剣に取り組めるのか
そのためには、目の前の課題に真摯に取り組めるかという
取り組み姿勢を見ていたとのこと。
結構むつかしい内容だった記憶で、やたらにメモした入り計算したり
最終問題までたどり着かなかった記憶だ。
終わったら、呼ばれた番号札の受験者だけ、別室に招かれた。
一次試験合格である。
呼ばれなかった人たちへは、就職活動の心得などが講義され
帰されたようだ。
二次試験は、集団討議だった記憶で、さらにふるいにかけられた。
三次試験が、社長面接だった。
覚えているのは「質問はあるか?」の問いに、
会社名の由来を聞いたのだ。
とても丁寧に教えてくれた。
それは、会社の理念にも通じるもので、特に思いがこもっている
とのこと。
とてもうれしそうだった。
それまでに、結構な数の不採用をもらっていたので、
手ごたえを感じていた。
無事に、入社し、晴れて塾講師の一年生となった。
が、現実は甘くなかった。
授業でお金をもらうことは、考えているほど甘くなかった。
卒業と同時に社会人となるタイミングと、
新入生が、受講しに来るタイミングは同じで、
卒業する前までに、及第点がもらえる講師になる必要がある。
入社前からかなりの特訓だった。
入社後も、授業後に振り返りと、模擬事業の連続だった。
2か月後に、同期が一人倒れた。
先輩からの期待と、睡眠不足、などなど、重なったようだ。
あまり期待されておらず、本店から一番遠い校舎に配属された
私はプレッシャーはなかったものの、配属人数が足りず
かなりの授業コマ数を受けもったので、睡眠不足だった。
あこがれた「講師」という職業が、睡眠との戦いとは、、
と現実を思い知った一年生だった。
その時、睡眠不足でも、受け持った授業コマ数をやりきることが
のちの独立につながるとは、当時は知る由もなかった。