カタシロと思考実験の感想(ネタバレ注意)
今回は、新クトゥルフ神話TRPG「カタシロ」の思考実験について考える。
思考実験の内容については割愛します。
ネタバレを含むため注意してください。
1つ目は、囚人のジレンマである。
私ならば、自白と答えるだろうと考えた。
それは、嘘をつけない性格であるからだ。取り調べを受けているときに、焦るあまり表情に出たり言っていることが矛盾することもあるだろう。咄嗟に嘘をついてしまってもそれからの人生罪悪感に飲まれ、ビクビクしながら生活するのは生きている心地がしない。
また、黙秘にした場合2人とも運良く黙っていた時は良いと思う。だが、相手が自白してしまったら私は黙ってあげたのにと相手を見る目が変わってしまうかもしれないし、自分も自白してしまえば良かったと後悔してしまう。
逆に、相手だけが黙秘してしまったときは自分は自由の身になれる訳だが、相手は10年になってしまうので自責の念に駆られつつも自分にできることを精一杯しようと考えると思った。
結局は、嘘をつかず相手を信じることが自分にとって良い影響を与えるのではないかと考えた。
2つ目は、テセウスの船についてだ。
これに関しては、船だけで考えると違う船ではないかと思う。単純に考えれば、全てのパーツは入れ替わってしまった訳で名前は一緒だろうと自分がどう捉えるかによって大きく変わると考える。
船以外の人間を含めた概念的な意味でも違うと言えるのではないかと思う。人間は殆どの部分が入れ替わる。魂があるから変わらないというのもあるだろうが、人は日々変化していくと考える。
全く違う人になってしまうことはないが少なくとも去年の自分や先月の自分とは考え方や物の捉え方が異なっていると思う。
また、毎日新しい情報の習得や経験を積み重ねていっているため上記のように考えられる。
3つ目は、臓器くじについてだ。
これは、臓器移植に似ているようで異なっている部分は、提供者がクジで選ばれるということだ。つまり、自分や自分と関わりのある人が選ばれる可能性もある。赤の他人だったら、提供することは難しいだろう。提供される側が、大切な人の場合でも選ばれるのが自分という可能性が少しでもあるのなら断ると思う。
くじを引いた場合、提供する側、される側共に自分の関係性を持っている人になる可能性もある。そのときは、何のためにやっているのか分からなくなりそうだし想像するのも難しい。
最後に自分体を差し出すかどうかだ。
この話の重要なところは、機械化した自分にさほどデメリットがないところと、女の子と関係性を持ってしまったという部分だと考える。
機械化にデメリットが沢山あったり、女の子と関係性を持たなければ選択が変わった人も沢山いるのではないかと考えた。
まず最初に、私は女の子の部屋にすら入らないと考える。幼い女の子といえど、知らない人の部屋に入るのは恐怖を感じるし上手くやり過ごし、早く退院したいなと考えると思う。
入らなかった人は、先生が来て部屋に入るように促されてしまうので選択は変わらなくなってしまうのだがそう考えた。
隣の部屋にしたのも意図があると感じるし、女の子と関係性を作ることで断ったその後を考えなければいけないという状況になる。
また、既に脳だけの状態にしてしまったので親が女の子に多少濁してでもを説明する義務があると思う。これからの選択肢について決める時間は設けるべきだし、体を変える選択をしたときに説明を求められると思うしなるべく早い方が良いだろう。
今の自分の年齢から考えれば、小学生の頃は考え方も幼かったし危ないことも沢山していたと思う。だが、あの年なりに精一杯考えていたし記憶は残っている。
私は、片耳難聴のことを小学生の時に告げられた。そのときの状態は、自分が一番分かっていたしもっと早く診断を受けていればと考えることもあった。
大人と捉えるのは早いが、話せて考えられて自我を持っている時点で説明をしないというのは、親側の逃げではないかと思う。
我が子の気持ちを思うのは理解出来るが自分だったら全てを知りたいと考える。
なぜなら、その体を使うのは自分であって聞かされたことに対してどう対処して落とし込むかを決めるのは親ではないからだ。
だが、自分の体を譲ることはまた別の話だと感じる。少し関係性を持ったといえど3日目の段階で決断を下せるとは考えづらい。
デメリットはないがメリットも女の子側にしかない。3年以上の補償を求めると考える。
以上が私の考えです。
演じる人によって考え方が変わるのめっちゃ面白い...!!