感じたことメモ①-人の死を目の当たりにした時-
おそらくは、波乱万丈の幕開けなのかもしれない。
24年2月21日朝7:20頃、私の奥さんのおじいちゃんが息を引き取った。
6:20頃、出勤前だった。
奥さんの叔母の旦那から電話が私にかかってきたので、急遽仕事を休みを取って病院へ向かった。
人の死を目の当たりにしたのは、人生で2度目になる。
1度目は小学校5年生、授業中に先生から伝えられて早退したことを今でも思い出す。
幼かったのか、感情が乏しかったのか、ショックでなんにも思わなかったのか、それは定かでは無いが、とても冷静に見ていたことはよく覚えている。
今回、2度目を目の当たりにした時、虚しさのようなものを感じていた。
それは私がそれなりに成長して、様々なものをそれなりに体験したからなのかどうかは分からないが
少なくとも、お金があろうが、富んでいようが、いい服を着ていようが、いい車を持っていようが、死ぬ時は裸であるということだ。
私はキリストの教会に行っている。
信じている身なので、聖書の言葉を読むことが多く、御言葉を思いめぐらすことが多い。
考え方も聖書の言葉に習うことが多い。
ただし多いだけであって、全くその通りに歩んでいない部分が多い。これがなかなか人の愚かさであり、私が信じている神の奥深さだなと思う。
旧約聖書 詩篇49:17 口語訳
彼が死ぬ時は何ひとつ携え行くことができず、その栄えも彼に従って下って行くことはないからである
この御言葉を心に浮かべながら、おじいちゃんの遺体を眺めていた。
人は突然死ぬこともある。
ただ、今生きてることはとても恵みに満ちていることの証拠でもある。
今を大切に生きることは大事だが、何を大切に生きていくのか ということが人生の最大の課題になるかと思う。
しかしまあ人が亡くなったってのに、ここの病院のランチが食いたいだの、なんだか和やかな雰囲気でことが進んでいたことに少しばかりの安堵を覚えた。
2024/02/21 9:34
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