会社の業績、いったい何割が社長の責任?
サラリーマンとしてお世話になった会社を退職する日のこと。その会社では、退職者は社長とアポをとり最後の面談をするのが習わしでした。社員150名くらいの老舗中堅会社で、ちなみに個室を持っていたのは社長のみでした。
社長室を訪れます。たしか入社して3カ月の試用期間が過ぎた日、こうしてここを訪れたことを思い出しました。その日からおよそ9年が過ぎようとしており、6人いた大卒の同期はすでに3人が退職していました。
創業家から続く直系の三代目であり、おそらく50代になっていたであろう社長は、意外にも柔和な表情で迎えてくれました。私が実家の家業を継ぐために帰郷することを知っているからだろう、と推測しました。
「君も経営者になるんだってね」
その話しぶりは、部下でも社員でもなく、同じ経営者として親近感をもっているようでした。話は自然と「経営者としての心構え」へと続き、そして意外な打ち明け話へと進みます。
「私の強みはね、己の器を知っていることです。私の器はそう大きくない。だから他人の邪魔をしないように心がけてきた。専務や常務、もっと下の若い人の意見だって採用する。才能のある人達を妨げてはならない。私は自己の欲望や私心を捨てて、他者を生かす経営をしているのです」
この話を聞いて、どう感じるだろうか。
私は背筋に冷たいものを感じた。顔面は蒼白していたかもしれない。
「問題はここにあったのか」と合点がいった瞬間でした。
つまりこういうことだ。
その会社ではたびたび新規事業部が立ち上げられ、数年で解散するということが繰り返されていた。または、ある事業部が重点事業部として人材が集められたが、結果が思わしくないと判明するとたちまち重点事業部は別の部署へと変更された。一方で、古くからあってすでに利益が出なくなっている事業部は延々と残り、なかなかスクラップされていかなかった。
動きのいい若手が新規事業部や重点事業部へ配置され、十分な結果を出す前に見限られて異動させられるのだが、これが若手社員の不平と不満の元となっていた。
「会社の方針がわからない」
「社長はいったい何を考えているのだろう?」
要は「選択と集中」がちぐはぐなのだ。一貫性がない。まるで社長が複数いるような変わり身の早さに、何度首を傾げたか知れない。だが実際は、声の大きい取締役や部長に神輿を預けて、うまくいかなければ取り上げるということを繰り返していただけだったのだ。
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中小企業向けに殊に有効とされる「ランチェスター戦略」では、会社の業績に対する社長の責任を数値化していておもしろい。
一人で経営しているのなら、業績に対する社長の責任は100%。それはそうだろう、とそこに疑義はない。
これが家族3人でやっている八百屋やパン屋だったらどうだろうか? 社長の責任は3分の1? いやいやその場合でも99%とほぼ変わらない。
社員10~30人の場合はどうだろう。社員100人の場合は?
英国人ランチェスターは、「100名以下の会社の業績はその96%が社長に責任がある」と定義している。
社員を採用するのも役職者を任命するのも社長の重要業務である。スタッフに力が足りなければ教育したり、教育する仕組みを作るのも社長の仕事。業務の方向性を見出し、何をやって何をやらないかを決める決定権も社長にある。だからこそ、その会社の業績は社長次第ということなのだ。
96%が社長ひとりの責任なのかと言われると、それではちょっと大きすぎる、という素朴な感想と同時に、社員一人ひとりの責任はそんなに少なくていいのか? と思わなくもない。おそらく、仕事や業務に対する責任は社員一人ひとりが担っているが、会社全体の業績に対して責任を負えるのは社長しかいない、というニュアンスも入っているのだろう。
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古巣の会社は、その後に大きなリストラを敢行せざるを得なくなった(同時に社長は会長に退き、新たな社長が任命された)。時代の荒波もあったが、必然の流れと言わざるを得ない。社長の本分を見誤った人間がその役職にいる状態では、船は思うように進まないのだ。
あなたの会社はどうですか?