考えるのではなく、脳内検索
思考力が落ちていると思ったらこれを試すと良い。
例えば先ほど手帳を購入したのだが「仕事用とプライベート用で分けるか?」という疑問が浮かんだ。
これについては目の前に開かれた高橋の手帳をじっと見つめながら、脳内に検索を掛けてみた。答えは「一緒の方がいいんじゃない?」であった。
これ以上考えることはない。検索結果を発見したからである。
この脳内検索感覚は買い物やメニュー選びでも使えるような気がする。「なんとなく目に入ったもの」が果たして本当に「なんとなく」なのか?ということを考える。メニュー表や売り場レイアウトに影響されている可能性もあり得る。しかし、手前から順に見ていった中で少なくとも売り場の棚一段を見たとしたら、その中でピントが合う物はなぜ、ピントが合うのだろう?
これは脳内検索ではないか?
そう考えると、かつてノートに一生懸命書いて思考していた頃が懐かしい。「この問題をどう解決するか?」と書いて、そこから連想することを書きだしていく。この過程で何かが激変したことはあまりない。むしろ「脳内検索」に従って一瞬で決めてしまう方が快い。
大切なことは「外部ではなく内部検索」という点だ。
外部を検索をかけると無尽蔵な情報に圧倒されて決められなくなってしまう。
手帳を片っ端から手に取って確かめた私の感覚は「指先」から脳にフィードバックされ、気持ちよさ、気持ち悪さを感じ分けていた。
最終的に「なんか気持ちいい」それはなぜだ?「360度開く!リングタイプだからだ!」という後付の理由を見出した。ま、それで良かった。
そうか、なんか気持ち悪いのはページがまっすぐに開ききらないからなのだ。
そのように理由づけをした。
一冊の手帳を手に、他にもノートでも選ぶかなと売り場をウロウロ。しばらく探していたのは「無地リングタイプでフラットに開く大きすぎないノート」であった。が店内検索にヒットしなかった。そのうち「迷い」が生じてきた。迷いの感覚は、頭がボーっとしてきて考えられなくなるという変化がある。それは目的がそもそもないからである。「ノートは必要か?」ということに対しても明確な理由なく文房具店にやってきたのだ。途中で目的を見失ってしまうのも無理はない。
「強いて言うなら、買うとしたら無地のリングタイプかな」と思ったが果たしてそれを何に使うのか?それは分からない。
「いけん、迷い始めた」と思った瞬間私はレジに向かった。
これが脳内検索を活用したお買い物の例である。はぁ。